■出会い■


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 長いようで短い夏休みが終わり、また学校に通う毎日が始まった。
 学校は好きだった。
 数少ない平穏な毎日を肌で感じられる場所だからだ。
 文庫本を開きながら、生徒達に心臓破りの坂と呼ばれる学校へと続く坂を登って行く。
 私は最近、ブックカバーがかかってないと持ち歩く事を憚られるような、ボーイズラブ系の小説に嵌っている。
 しかし、あんな美少年達が絡み合う事は実際在りうるのだろうか。
 男色と言うのはいつの時代にもあった様だが、そう言う対象と見れるのは少年(小学生以下)までじゃ無いかと真剣に思う。  たまにクラスの男の子達を見ながら、あの子とあの子ならいけるかも……とか、あれは無理だな。なんて事を妄想して楽しんでいるけれど、実際にクラス内でそう言う事が有るならば、まぁ、それはそれで見てみたい。
 そういえば隣に座っている男子と良く喋る剣道部の男子は、意外に良いカップルかも知れない。友情が愛情に変わる瞬間が有るかもしれないじゃないか。
 どっちが上で、どっちが下か考えたところで坂を登りきった。
 どっちもいけるな、あの二人は。
 心の中でそう結論付けて私は下駄箱に向かう。
 登校するにはまだ少し早い時間である為、生徒の姿はまばらだ。
 グラウンドの方からは、朝練をしている運動部の子たちの声が聞こえて来る。
 清々しい朝だ。
 この少しのんびりした様で、少し落ち着かない雰囲気が好きだった。
 授業が始まるまでは時間があり、それで居てゆっくりと体が目覚め始めると言う空気。
 町全体がそんな空気包まれているような感じ。
 朝の匂いと言うものだろうか。
 朝の光が私の肌にゆっくりと染み込んでいくようだ。
 蝉たちもまだ目が覚めていないのか、彼等の鳴き声もちらほらとしか聞こえてこない。
 そんな平穏な空気が私を清々しい気分にさせる。自然と笑みがこぼれた。
 もし、誰かに見られていたら変な女の子とでも思われるだろうか。思われるだろうな。
 くす。
 上履きに履き替えて廊下を歩く。私は一般棟を通り過ぎ、まっすぐ特別棟へと向かった。
 特別棟――つまりは科学実験室や、被服室、図書室などが集まっている校舎だ。
 朝からこちらの校舎に足を運ぶ生徒など、私以外には居ないだろう。
 目的の部屋の前で足を止め、ポケットから鍵を取り出す。鍵穴に差込み、回すと小気味良い音を立てて鍵が開いた。
 部屋に入ると、カウンターがあり部屋一杯の本棚。本が集まった場所特有の紙の匂いが鼻を突く。
 私が朝から足を運んだのは、図書室だった。
 カウンターに入り端末を立ち上げ、カバンから取り出した本の返却処理をする。
 ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、ぴ……
 本に貼り付けられているバーコードをリーダーに通す。
 貸し出し、返却については随分と手続きが楽になったものだと思う。
 私が小学校の頃は本に貸し出しカードが付いていて、名前を書いて借りていた。
 バーコードで本を管理するのは借り易いし、返却処理も簡単で良い。
 ぴ、ぴ、ぴ、ぴ……
 それにしても、この学校の図書室の蔵書は結構目を見張るものが有る。
 一年と半分で、半分くらいは読破したと思うけれど、まだ半分も残っている。
各学期末に棚卸しがあり、古くなったものはどこかに寄贈され、新しい書籍が並ぶ。
 ぴ、ぴ、ぴ。
 つまり、古い本は学期末毎に図書室から消える恐れが有るため、私は古い本から借りて読んでいるのだ。
 本ならばなんでも良い。でも、出来れば読んだ事の無い本を読み続けていたいと思う。
 因みに二年生の教科書は残念な事に、進級して二週間程度で読みきってしまった。
 ぴ、ぴー。
 あれ?
 ぴー。
 処理エラーの音が誰も居ない図書室に鳴り響く。
 ……困ったな。
 正直言って、私はパソコンにはあまり詳しくない。
 本で読んだ知識は有るけど、やはり実際に触ってみないと分からないものだし、私自身パソコンを持っていない。
 キーボードですらまともに打てない有様だ。実に困った。
「うわぁ、凄いねこれ。これ全部読んだの?」
 私がパソコンのモニターを前に眉を顰めて困っていると、そんな風に声を掛けられた。
 顔を上げるとカウンターの向こうに髪の長い女生徒が立っている。
 たしか、図書委員の人だったんじゃないだろうか。
 その子に私はこくりと頷きだけ返して、モニターに視線を戻す。それよりも、この事態をどうすればいいかを考えないと。
「返却処理がうまくいかないの?」
 人懐っこい雰囲気を持った彼女は、カウンター内に入ってきてモニターを見る。そして「あぁ」と何かが分かったように声を漏らした。
 カバンからハンカチを取り出して、エラーが出た本のバーコードを一拭きするとリーダーに通す。
 ぴ。
 おお。
「バーコードの部分が汚れてたみたい。ここのリーダー古いからたまにあるのよ、こういう事」
 と、本を私の目の前に掲げにこやかに笑った。


 ――『図書室の主』。

 彼女は私の事をそう称した。
 どうやら私は、図書委員の中では有名人らしい。
 彼女曰く。
 昼休みは必ず図書室に居る。
 一週間で貸し出し履歴が一ページ増える(一ページにつき五十冊履歴に残るらしい)。
 図書室の鍵を個人的に持つ事を許されている(普通、図書委員も一度職員室に借りに行かなくてはならない)。
 早朝から図書室で本の返却を行っている(返却時間を見ると分かるらしい)。
 放課後、彼女は私が返却した本を棚へと戻すのを手伝いながらそんな事を教えてくれた。(本の量が多すぎて、朝のうちに全部棚に戻せなかった)
 放課後の図書室はいつもながら、あまり賑わっていない。私を含め、良く見る顔が四人ほど。あとは担当の図書委員が二人居る。
 図書室は結構広いのだが、ここまで利用されないとなるとスペースの無駄遣いのような気もしてくる。むしろテーブルのスペースを本棚にしてしまえば、もっと蔵書を増やせると言うのに。
 そんな事を考えながら、本を元の位置に戻すと同時に、次に借りる本を物色する。
 私の手から返却された本が一冊棚に戻ると、同じ棚からまた新しい本が一冊私の手元にやってくるのだ。
 ……当然では有るが、私の腕の中では本の数が減らない。
 棚に戻す、新しい本を取り出す。を繰り返していると、図書委員の彼女がくすりと笑った。 
「ヌシ様は本当に本が好きなんだね」

 ……ヌシ様?

 妙な呼び方をされた。
 私が彼女の言葉に訝しげな顔をしていると、
「『図書室の主』だからヌシ様。冴えたネーミングでしょう」
 残念ながら、太陽の様な笑顔で言うこの子にはネーミングセンスは無い様だった。
 鼻歌交じりで彼女は本を棚に戻していく。
 彼女の長い髪がゆらゆらと揺れた。少し羨ましくなる程の艶の有る綺麗な髪だ。
 小説的な表現をするならば、鴉の濡羽色の艶やかな髪というのが相応しいと言えるだろうか。
「はい、これで最後かな?」
 手元の本を全て棚に戻し終えた彼女は、そう言って私の手元を見る。
 私も返却分を全て棚に戻し終えていて、それと同じ量の本が手にあった。本が邪魔で私から彼女の顔を見ることが出来ない。
「あはは。ヌシ様、それが新規貸し出し分?」
 実に愉快そうな彼女の笑い声が聞こえた。こくりと頷くと、彼女は「貸し出しの手続きするね」と私の手から奪い取る。
 私は「あ」と、つい声を出してしまった。
 本を奪い取った彼女はその重さにバランスを崩し、悲鳴を上げて本の山と共に図書室の床に倒れこんでしまう。
 上半身だけ起こした彼女は、不思議そうに私の顔を見上げていた。
「ヌシ様って……見かけによらず力持ちなんだね」
 呆然とそう呟いた後、何がおかしかったのかくすくすと笑った。
 どうやら私が軽そうに持っていたので、自分にも持てると思ったらしい。
 確かに普通の女子高生が軽々と持てる重量では無かったかも知れない。
 私は少し考えた後、こくり。と頷いた。
 『覚醒者』だから。等と説明する必要もないし、理解してもらう事も出来ないだろう。
 それに、普通の人はそんな事知らない方がいい。
 私の胸中など分からないであろう彼女は、スカートの裾をはたいて立ち上がる。
 そして本を何冊か拾い上げ、「いくらかに分けて持ってこ?」と照れくさそうに笑った――。

 貸し出し手続きにそう時間はかからなかった。
 私は借りた本を通学用カバンに詰め込み、図書室の本しか入っていないのにパンパンに膨れたカバンを見て満足する。
 これで週末までは持つだろう。週末にはまた休日中に読む本を借りに来ることになるだろうけど。
「そうだ、ヌシ様」
 カバンを肩に掛け、帰ろうとすると声を掛けられた。
 カウンターに座っている彼女は手を組み、その上に顎を乗せて上目遣いに言った。
「また、声掛けていい?」
 私が振り返ると、彼女が人懐っこい笑顔を浮べていた。
 それは全然構わないんだけど――
「――ヌシ様は……やめて」
「き、気に入らなかった?」
 こくり。
「あぅ……じゃ、と、豊玉、さん」
 少し不満そうに、彼女は言った。
 私はこくりともう一度頷き、了承の意思を示す。
 不満そうな顔をする彼女だが、その表情をしたいのは寧ろ私の方じゃないだろうか。
 ヌシ様って言うのは、なんだか巨大な魚(しかもグロテスク)を思い浮かべてしまうのでちょっと勘弁してもらいたい。
 彼女は俯きがちに「豊玉さん」ともう一度言い直す。そして私の方を見て言った。
「わたしは日下 月夜。よろしくね豊玉さん」

   ――日下……さん?

 私の口から彼女の名が漏れる。漏れた言葉に「うん」と嬉しそうに彼女は声を上げる。
 だが、私はきっととても険しい顔をしていただろう。

 『日下 月夜』

 それは、夏休みの終わりに対峙した『少年』の姉の名前だった。


     ◇


 学生達で賑わうCafe『天津』の店内で、今、目の前の美少女は私を上目遣いに見ていた。
「お、怒っているのかな? 怒っているんだね? いや、豊玉さんが彼女の事を知らないとは思わなかったんだ。ほら、豊玉さんは図書室に入り浸っているじゃないか。だから図書委員である彼女とは面識があって、それを承知であの仕事を請けてくれたんだと思ったんだよ。う、嘘じゃない」
 私の差し向かいに座るなり、美少女はまくし立てるように言い訳をした。
 三上 照天。
 中学校時代からの同級生。そして――私をこの世界に引き込んだのも彼女だった。
「テル」
 私が非難の意味を込めて彼女の呼び名を口にすると、テルはぴたりと喋るのを止める。そしてソファに座りなおして「ごめんなさい」と謝罪した。
 喫茶店『天津』。その店内の片隅の四人掛けの席で、髪を結い上げ、和装メイドの服を着たテルと私は向かい合って座っていた。
「ボクも途中からあれ? もしかして知らなかったかな〜……なんて思ったりしたんだけど、言い出す機会が無くって……隠すつもりは無かったんだよ。本当に悪かった。許して欲しい」
 文武両道、容姿端麗、うちの学校で絶大な人気を誇り、かつ一年生の時から生徒会長を務める彼女は、友人以外には隙を見せる事は無い。
 ――そう友人以外には。
「ボクだって学校の生徒達が思っている程完璧じゃないのは豊玉さんだってわかってるだろ? 許しておくれよ。豊玉さんとボクの関係を修復するのに必要であれば、今日この店内に有るありとあらゆるスイーツを豊玉さんに捧げたっていい。もちろん紅茶もつけさせてもらおうじゃないか。……ど、どうかな?」
 探るように私にそんな妥協案を出してくるテルにくすりと笑ってしまう。
 こういうところが彼女の憎めない所だった。
 テルは次から次へとカウンターから、色とりどりのケーキを持ってきて私の前に並べていく。
 イチゴのショートケーキにミルクレープ、チーズケーキにモンブラン。
 ケーキがテーブルに乗らなくなっていた頃、入り口に取り付けられたカウベルが乾いた音を立てて来客を告げる。
 南方先輩だった。
 先輩は店内を見回し、私たちを見つけるとチンピラのような歩き方でこちらに歩み寄ってくる。
「なにやってんだ、お前等?」
 ケーキが所狭しと並べられたテーブルを見て先輩が吐いた台詞は、なるほどごもっともな台詞だった。
 先輩は私の隣の席に座り、テルにコーヒーを注文する。
「ボクと豊玉さんの国交の回復を図っているのさ」
「なんだそりゃ?」 
 訝しげに眉をひそめる先輩をよそに、テルはカウンターの横に並んでいる私たち専用のカップ棚へと行き、その中から先輩のカップを選び出す。
「豆は何がいい?」
 テルが背中越しに顔だけをこちらに向けて先輩に聞く。
「……なんでもいい」
「あっは。りょーかい、りょーかい」
 ヒラヒラと手を振りながら、テルはカウンターの奥に居る店員に何か指示をする。
 店員は驚いたような表情をしながらも、「少し多めに淹れてキミも飲んで良いからさ」と言うテルの言葉に、店員は嬉々として棚の奥からコーヒー豆の入った袋を取出した。
 そして、コーヒーを淹れ終わるまでテルは店員と歓談を始める。
 ふと先輩の方を見ると、テーブルに載ったケーキをまじまじと見つめていた。
 ……食べたいのだろうか。
 私はミルクレープの載った皿を先輩の前に置いてみる。
「あ、い、いや……甘いものは、に、苦手なんだ」
 苦手らしい。その割には物欲しそうな目をしていたような気がしたけれど。
 今度はショートケーキの皿を先輩の前に置く。
「ぬ……ぅ、だから、苦手だって」
 私は続けてチーズケーキの皿を先輩に渡す。
「く、食えないんだったら、食ってやっても良いけど……よ」
 ……この人甘党だ。
 甘いものは本当は好きだけど、人前では周りの評価から考えて似合わないと自覚が有るのだろう。
 男の子はいくつになっても格好をつけたがるものだ。
「お、お前が食えないって言うから食うんだからな。勘違いするなよな?」
 ……しかもツンデレ甘党だった。
「おやおや。そういえば先輩は甘党だったね。コーヒーもミルクたっぷりだったっけ?」
「簡単にバラすなよっ!」
 いつの間にかテーブルにやってきたテルが、そんな事をいいながら先輩の前にコーヒーを置く。
 ……ミルクたっぷり?
 以前、私の前でコーヒー飲んでたときブラックで飲んでなかっただろうか? この先輩。
 どうも、そうとう我慢して飲んでいたらしい。なるほど眉をしかめながら飲んでいたのはその所為か。
「あ、でもね。このコーヒーは一口だけで良いからブラックで飲んでみてもらえるかな? 気に入ってもらえると思うけど」
 先輩は半分意地になったのか「ち」と舌打ちをして、コーヒーを啜る。
「ん? ……飲める? うまい……? うっそ?」
 まるで信じられないものを口にしたかのような驚きの表情を浮べる。
「あっはっは。基本的にボク専用の豆さ。値段が高くてお客さんに出せない豆だよ」
「高いって、いくらなんだよ?」
「んー、その時々の相場によるけど、一杯1200円?」
 ぶっ!
 先輩が1200円を噴出したっ!?
「あー勿体無いなぁ、お金をなんだと思ってるんだよ」
「どんな豆だよ! 聞いた事無いぞっ?」
「いや、聞いた事は有るはずだよ? ブルーマウンテンって豆」
 缶コーヒーでたまに見るな。私はコーヒー飲まないからあまり目に入らないけど。
「あ、あれってそんなに高いのか? い、いや、缶コーヒーでもあるじゃねぇか」
「あー、アレは多分偽物だよ。本当のブルーマウンテンが缶コーヒーに出来るわけないじゃないか。日本じゃブルーマウンテンって正規の輸入量の三倍流通してるんだよ? つまり三分の二がブルーマウンテンの名を語っているだけさ」
「そ、そうなのか?」
 先輩の言葉にこくりと頷くテル。
「ブルーマウンテンって言うのは、ブルーマウンテン山脈の標高八百〜千二百メートルの地域で取れた豆しか名乗っちゃいけないんだよ。でも実際にはその地域以外で取れた豆も、ブルーマウンテンと銘打って日本で販売されてる。まぁ、確かにブルーマウンテン山脈で栽培されてるんだから間違ってはいないんだろうけどね」
 テルの言葉に、先輩はカップの中に静かにたゆたう漆黒の液体を呆然と見つめていた。
 一方テルはと言えば、先輩の驚く顔を見れた事に実に満足そうに笑っている。本当に悪戯好きな美少女だ。
 そしてテルは「あ、そうそう」と今思いついたように言葉を継いだ。
「ところで先輩は愛しの姫君のお見舞いの帰りかな?」
「っ!? お、俺とあいつはそんな仲じゃねぇっ!」
「ほぅほぅ。その割には足しげく通っているようだけれど。学校の出席率よりも良いみたいだしね。いやいや、仲が良いのは結構だけど、先輩が僕たちと同級生になってしまうのではないかとボクは心配で心配で」
 テルは芝居がかった仕草をとる。先輩をからかっているのだろう。
 まぁ、先輩が私たちと同級生になってしまうのではないかというのは、私も心配している。
「っ! これだから帰りに寄りたくなかったんだっ」
 顔を真っ赤にしながら吐き捨てる。そんな態度をとっていたら、テルの言葉を肯定しているのと同じだと思うのだけれど。
「でも、彼女の事は先輩の所為じゃない。同情でずっとそんな事を続けているのであれば、彼女にとっても先輩にとっても残酷だよ」
 急にと言えるタイミングで、テルは先輩の目を射抜きながらそう言った。
 でも、私も――そう思う。
 先輩がお見舞いに行っているのは、辛うじて『超越者』の手から逃れられた被害者の一人だ。
 ただ、半分以上の『存在力』を『超越者』に喰われていて完全に無事だったとは言えない状態だった。
 その所為で彼女は病院から出られない。
 夏に往き会ったあの『少年』のように。
「そんなんじゃ……ねぇよ」
 テルの言葉に、先輩はまるで呻くようにそう応えコーヒーを口に運ぶ。
「まぁ、結婚式には呼んで欲しいものだね」
 ぶっ。
 先輩が噴出した。
「あっはっは。汚いなぁ先輩ってば」
「あーもう嫌だっ! こいつうっぜぇっ!」
「それは心外だ。ボクはいつだって先輩の事を心配していると言うのに。この気持ちを分かって貰えないというのは、僕の繊細な心をしたたかに傷つけたよ。この責任はどう取ってもらうか悩むところだ。裁判所に申し立てたりすればいいのかな?」
 こんな事くらいで裁判所に申し立てとかしないで欲しいものだけど。
 むしろ訴えられて負けるのはテルの方な気がする。
「まぁ、それより。先輩がここに来たのは訳が有るんだろう? 来たくなかったのに来たのだから――」
 ――『超越者』がらみなのかな?
 人差し指を立て、先輩に詰め寄りながらそう言った。
「ん、あぁ――だな」
 先輩はぼそりと応える。
「三人行方不明者が出てる。しかも保護観察官の目の前で消えたってよ」
「それは……大変だねぇ」
 そう大変でも無さそうな感じでテルはコーヒーを口に運ぶ。
「圭祐さんの話だと、少年院を仮出所後直後に保護観察官の目の前で消えたんだとよ。普通の人間の認識の外で連れ去られた可能性が高い」
「人払いの結界か」
 テルの呟きに先輩はこくりと頷いた。
 圭祐さんと言うのは、先輩の知り合いの刑事だ。
 先輩の彼女(?)のお兄さんで、彼女が『超越者』に襲われた事件から、『覚醒者』の私たちに協力してくれている普通の人である。
 テルが言うには、私たちが普通の人とは違う事を理解した上で、協力してくれる人は少なくは無いらしい。
 先輩が彼女のお見舞いに言っている理由の一つには、警察関係者である圭介さんの情報が得られるからなのかも知れない。
 ……いや、考えすぎかな。お見舞い先で偶然そんな話を聞いただけのような気がする。
「まだ、ニュースなんかにはなってないみたいだけどよ、明日の朝か夕方くらいには流れるかもな。観察官は脱走したって大騒ぎしてるらしいし」
「ニュースなんかでは少しオブラートに包まれるかもね。脱走、じゃなくて行方不明ってさ。でもまぁ、存在を喰われている訳ではないみたいだね」
 確かに。
 『超越者』の目的は他人の『存在力』のはずだ。
 まだ、普通の人たちにも行方不明になった三人が認識出来ていると言う事は、何か理由があってまだ『存在』を喰われていないか――殺されてしまっているかのどちらかだ。
「ふむ。まだ『超越者』になったばかりの可能性があるね。その場合、人を餌として見るのにためらいが生じる事が有る。力の暴走で誤って殺してしまったとか……まぁ、可能性を出したらきりが無い」
 ――けれど、殺されただけなら取り戻しようがあるさ。
 テルは手近に合ったチーズケーキにフォークを突きたてながらにやりと笑った。
「で、先輩は他に何か情報を貰ってきたんじゃないのかな? 『超越者』の手がかりを、さ」
「なんで分かる」
「ははは。なんとなく、かな? 女の勘って奴だよ」
 納得いかないように、先輩は顔をしかめた。テルが有る程度の治癒能力や探知能力を持っているのは知っているが、これも探知能力の延長なのかも知れない。精神感応系という奴だろうか。
 テルとはもう長い付き合いになると思うが、私は彼女が戦う姿を一度も見たことが無い。戦闘には向かない能力なのだろう。
 先輩もそんな事を思ったのか、ち。と舌打ちを一つして口を開いた。
「行方不明になった三人ってのが、うちの生徒に関係してるんだとさ」
 先輩の言葉にテルは「ふむ」と鼻を鳴らして、先を促す。
「去年の冬くらいか。この町で女子中高生が……その、なんだ――」
「乱暴された事件かな? 被害者は確認されてるだけで七人。実際にはもっと多いだろうけどね。で、その中にはうちの学校の生徒もいたね。まぁ、その子は未遂で済んだけど――」
 そこまで言って、何故かテルは私の方に視線をやった。
「俺より詳しいじゃねぇか」
「この世界の事件に関してはボクは一通りチェックしてるからね。何が『超越者』に繋がっているか分からないし。まぁ、その事件は『超越者』と全く関係が無かったけどね。暴力事件とかに発展して、校内の処理は大変だったけど」
 そんな事があったのか。自分の学校の事なのに知らなかった。
 状況から考えて、復讐を考えた当時の被害者の内の一人が三人を襲った可能性が考えられる。
 恨みや憎しみは人の感情の中で最も強いものの一つだ。そして人間の枠を超えてしまうのも恨みや憎しみからが断然多い。
 自分を傷つけた連中がたった一年で社会に戻って来たなんて事を知ったら、そう言う気持ちになるのも女として分からなくも無い。

 ――日下 月夜。

 先輩の口から突然出た名前に、自分の考えに沈んでいた私ははっとそちらを向く。
 いつもと違う反応をした私に「な、なんだよ」と先輩は後ずさった。
 何故。ここで彼女の名前が出てくるのか。
「その未遂で終わったうちの生徒って言うのが……日下さんなんだよ」
 先輩の代わりにテルが私の疑問に応えた。
「どういう――事?」
 私が口を開いた事に先輩は大袈裟に驚き、テルは申し訳無さそうに言葉を継いだ。

 ――日下さんも容疑者の一人だと言う事さ。

 その言葉は店内の喧騒にかき消されもせず、はっきりと私の耳に届いた。