■D昼と夜の境界で■


inserted by FC2 system


 剣道場は夕日によって赤く染め上げられていた。

  「悪いな。つき合わせてしまって」
 夕焼けが差し込む剣道場で逸見は言った。
 剣道部主将だけあって、流石に剣道の防具をつけ面を小脇に抱えた格好が様になっている。
「あぁ、構わねぇよ」
 ――親友の頼みだもんな。
 ふざけた調子で返してやる。
「茶化すなよ」
 そう言って逸見は苦笑した。そう、いつもと同じように。
 致命的な何かを避ける様に、言葉を選ぶように逸見は続けた。
「なぁ……一緒に剣道やってた時楽しかったな」
「練習はキツかったけどな」
「夏の合宿なんかも悪くなかった」
「マネージャーが誰の事好きかとかな」
「してないだろう。マネージャーは男だぞ」
「はは、そうだっけか」
 俺はわざとらしく笑うが逸見はまだ俺の目を見ないで苦笑するだけだった。

「俺は、お前に帰ってきて欲しかったんだ」
「あぁ、知ってる」

 剣道場には俺と逸見だけしか居なかった。
 格子窓から挿す紅い夕日は、俺達の影を長く伸ばす。
 遠くで他の運動部の連中の声が聞こえる。

「他の部員は?」
 俺は聞く。
「今日は部活は無しにした。あったとしてもご退場願っている」
 ――そういう力を、俺は持っている。
「そ、か……」
 やっぱりそうなんだよな。
 冗談だと笑い飛ばせるんじゃないかと、少し期待をしていた。

 長い沈黙の後、逸見が口を開く。

「呼び出してなんだが、やっぱり帰ってもらう事は出来ないか」
「あぁ、無理だな」
「いつも通り退屈な日常を楽しむわけにはいかないか」
「あぁ、いかねぇな。お前は――」
 ――三人殺した。
 俺の言葉に逸見はピクリと反応し……。
「そうだな、きっちりと存在を消してしまえば良かったと後悔している」
 と、冷たく言い放った。
「そうしておけば、あの事件自体がなくなり、お前は気兼ねなく……いや、そんな事があったことも気付かずに剣道部に居られたんだ…」
「じゃあ、何で消さずに殺したんだ」
「別に深い意味はない。あんな奴等の存在を取り込むのが不快だっただけだ」
「怖かったんじゃないのか?」
「そうだな……そうかもしれないな」
 俺の言葉に納得するように逸見は言い……
「日下(くさか) 月夜(つきよ)」
 突然、逸見がそんな名前を呟いた。
 その言葉に俺がいぶかしげな顔をしていると、逸見が意外そうに言う。
「お前……まだ目覚めていないのか?」
「どういう意味だ?」
「生徒会長から聞かなかったか? 『覚醒者』は消えた存在のことを忘れないと」
 あぁ、そんな事を言っていた気もするな。
「そして『覚醒』すると同時に、消えた存在の事を思い出すことができる」
「それが――」

 ずきん。

 日下……月夜……?

「――どうか……したかよ」
 自分の記憶の中に、間違いなくその名前があった。
大切なものだったような…気がする。
 忘れてはいけない『約束』
「昨日、生徒会長が言っていただろう。あの三人はお前が乗り込んだあの日、女を連れ込んでいたんじゃないかってな」
 頭痛を堪えながら俺は「そうだな」と答える。
「その、連れ込まれていてお前に助けられた女。そして俺が『眷属』へと変えた女でもあり――」

 ――お前の女だ。

   俺は、逸見が何を言っているのか、すぐには理解ができなかった。
 ただ、俺の記憶の底に凝ったその名前は、靄がかかった様に不明瞭で輪郭が見えない。
 ……いや。

 ――最後に。最後だから。

 そうだ。あいつは最後だからと泣きながら笑っていた。
 世界中が真っ赤に染まったかのような週末の屋上で、あいつは最後に……なんて言っただろうか。
「あの女……日下があの場に居なければ、お前はあんな屑どもに剣を振るうことはなかった。すべての元凶はあの女だった。なぜあの女の為にお前が剣道を止めなくてはならない?その所為で剣の道を諦めなくてはならなかったお前の隣であの女はなぜ笑っていられる?なぜ、そんな事の為に俺とお前が戦えない……」
 逸見は淡々と言う。
 どこか壊れている様なそんな感じ。
 歯車が一つ欠けているような。
「俺は。あの女が憎かったんだ」
 逸見の黒い――笑い。
 俺は初めて、逸見の中でコールタールのように凝っていた、どろりとした黒い物を見た気がした。
「だから俺はあいつの存在を喰らって、俺の『眷属』にしてやったんだよ。俺の下僕としてな」
 逸見の、不快感を煽る笑い声が剣道場に響く。
「まぁ、お前の目の前であっけなく豊玉に消されたがな。あの女、本当に冷徹な女だよ。表情一つ変えずに日下を消したんだからな」
 豊玉が?
「まぁ、いいさ。少し遠回りしてしまったようだが……俺は俺の目的が果たせる。こうやって、お前と立ち合うことが出きるんだからな」
 そう言って真っ向から俺の目を見据えて言った。
「お前だって分かってくれるだろう? お前だって俺と戦いたかったはずだ。お前の為にここまでお膳立てしたんだ」
 壊れている。
 もう、修復できないほどに……壊れている
 『あの事件』さえ無ければ、逸見はこうはならなかったのかも知れない。
 確かに俺も、もう一度お前と戦いたかったよ。
 でも。
「わりぃ、逸見」

 ――それでも……わかんねぇよ。

 お前の気持ちは、わかんねぇ。
 俺は逸見から視線をそらし壁へと向かう。
 壁に掛けられていた竹刀を手に取り、片手で無造作に一振りした。
 半年。いやもっと経っているか。久しぶりに感じる竹刀を握った感触。
 鈍ってるんだろうな、流石に。
 そんな事を思いながら、俺は竹刀を正眼に構え逸見に向き直る。
「逸見。てめぇの望みをかなえてやる」
「本当に……分からないのか」
 逸見は俯いて悲しそうに言った。
「あぁ、わかんねぇな」
「覚醒してないお前じゃ、俺には勝てんぞ」
 逸見がまたあの歪んだ微笑を浮かべる。
 その目はどうしようもなく戦いへの渇望が見られた。
「結局てめぇは自分が戦いたかっただけなんじゃねぇかっ!」
「そうさ」
 その声は俺の背後から聞こえた。
 つい先ほどまで俺の目の前にいた逸見は、俺の後ろに立っていた。
「どれだけ俺がお前と戦いたかったか……想像もつかないだろう?」
 静かに――言った。
「本当に漫画みたいだな、こいつは」
 呻く様につぶやく。目の前から人間が消えて、いつの間にか後ろに立っているなんて、ありがちな展開だよな。……これが漫画だったら。
「お前が求めた、非日常と言うのがこれだよ」
「ったく。もっと楽しい非日常なら大歓迎だったんだがな」
 言いながら逸見のほうに向き直る。
 竹刀の切っ先を逸見に向け、憎まれ口を叩いた。
「防具はいいのか?」
「今のてめぇの一撃だったら、防具付けてるほうが不利だろ?」
 動きが鈍って逸見の竹刀の餌食だ。防具ごと体をへし折られる。
「はっはっは。違いない」
 いつもと似た、いつもと違う冷たい笑い。
 逸見は口の端を歪めて笑う。それに応えるように俺にも自然と笑みが浮かんだ。
少し強がった……強張った笑みだったが。
「お前は優しすぎるんだ。いつも斜に構えているくせに、本当に困った奴がいたら手を差し伸べずに居られない。まさにヒーローだな」
 ――そういうところに俺も桜も、そして日下も惹かれたんだろう。
 そうつぶやき、竹刀を構えて俺に向き直った。
「さて、お前の存在はきっちりと喰ってやろう――親友だからな」
 逸見の冷たい瞳。背筋に寒気が走る。
 だが、ここで退く訳には行かなかった。
 そして逸見に対し正眼の構えを取り不敵に笑って見せる。
「まさか、お前が男を食う趣味があったとはな」
 強がりから出た憎まれ口。
「お前なら悪くないさ」
 真面目な顔で言いながら、じりじりと竹刀を構え間合いを詰める逸見。
 ぴりぴりとした緊張が剣道場に張り詰める。
 やるしか、無いのか。無いんだろうな。
 今になっても覚悟が決まらない自分に嫌気が差す。
ち。と舌打ちを一つして竹刀を握りなおした――
「覚悟を……決めたぜ。お前は俺がぶち倒す」
 にぃと、口を歪めて笑って見せた。
 逸見はゆっくりと竹刀を上段に構える。
 久しぶりだな。こうやって逸見と向かい合うのは。
 そう思うと、つい笑みがこぼれた。
 今までの強がったものではなく、ただ単に嬉しいと感じられる。
 逸見もそうなのか、先程までの冷淡な笑いとは違う笑いを顔に浮かべ言った。
「嬉しそうじゃないか」
「あぁ、まさかお前とまた立ち会えるとは思ってなかったしな」
 俺は諦めていたからな。
「んじゃよ、親友。始めるか?」
「あぁ、そうだな」
 お互いの竹刀を合わせ、その瞬間気合を込めた声と共に打ち込む。
 面、突き、突き、胴。小手、面。
 俺の竹刀を逸見がかわす。いなす。弾く。
 逸見は笑う。しかし俺を嘲っての笑いではなく、実に楽しそうに笑っていた。
「お前こそえらく楽しそうじゃねぇか」
「お前の腕がそれほど鈍っていないようだったんでな。嬉しいのだ」
「体力は完全に落ちちまったみたいだけどな」
 たったあれだけの打ち込みで、息が上がってしまっている。
「今度はこちらから一つ打ち込む。面だ。上手くいなせよ」
 どこに打ち込むか告げて、逸見が構えなおす。
「余裕だな、お前」
「はっは。ハンデってやつだ」
 ――加減はするから一撃で眠ってくれるなよ?
 そう言って逸見は素早い足捌きで間をつめた。
 キレのいい「面!」と言う掛け声と共に竹刀を振り下ろす。
 頭上に掲げた竹刀にまるで爆ぜる様な強い衝撃が走った。
 その瞬間、竹刀を斜めに傾け衝撃を逃がす。
 そのおかげかどうかは分からないが、辛うじて竹刀が折られることは無かった。
「勘は全く鈍っていないみたいだな。一応その竹刀が折れるくらいの力は込めたつもりだったが」
「お前の稽古が足りないだけじゃないか? ……なんてな」
 衝撃を逃がしたとはいえ、逸見の一撃は十分に俺の腕にダメージを与えていた。
 手が痺れて感覚が無い。続けて打ち込まれたら次はいなせないだろう。
「次は少し本気で行く。同じく面だ」
 流れるようなスムーズさで逸見は上段に竹刀を構える。
 まだ腕に残る痺れの所為で、構えを取れない。
「その前に、だ……もう一度聞こう」
「なんだよ、今更怖くなったのか……俺が」
 俺が死ぬのが――いや、俺を殺すのが。
「言ったろう。俺はお前を喰らうと――これ以上やるのであればそれに躊躇いは無い」
「俺は、お前を殺すのは怖いぜ?」
「なら、次の一撃でお前が死ぬだけだ」
 上段の構えを保ったまま、逸見は言う。
 ――だから、このまま帰ってくれないか。
 とても魅力的な提案だった。だが……
「無理だろ? さっきも言ったが……お前は三人殺した。それに桜を使ったのは許さねぇ」
「そう言うと思ったがな。まったく上手くいかない事が多すぎるな」
「世の中上手くいくことの方が少ないもんだぜ?」
 言って、やっと回復してきた腕で竹刀を握りなおす。
「それでは、行くぞ」
「あぁ、来い」
 再び空気が張り詰めた。
 さっきの一撃よりも強力な振り下ろしが来るとなると、竹刀で受けるわけには行かない。
 今度はそれこそ竹刀ごと腕を持っていかれるだろう。
 三上曰く――正面から戦っては駄目だ。
 その話を聴いた上で、なんで俺は正面から逸見と向き合ってるんだろうな。と、苦笑してしまう。
 つい、にやけながら逸見を見ると逸見も笑ってやがった。
「――死ぬなよ」
 そう言うと同時に逸見は距離を一瞬で詰めてくる。
 消えたように見えないのは逸見が手加減している証拠でもあるだろう。
 来る。そう思う前に俺は大きく右に避けていた。避けたはずだった。
 気付くと視界に天井が見えた――何がなんだか分からない。
 一瞬で正常な思考は失われていた。
 少しして「どっ」という音と共に俺の身体に衝撃が走る。そして次に見えたのは剣道場の床。
 遅れて尋常じゃない痛みが体中に走る。
 まるで、体中の骨がバラバラにされたかのような痛み。
「流石だな。よくかわしたもんだ」
 剣道場に倒れている俺の背中から逸見の声が聞こえた。
 かわした? これで……?
「まだ、立てるだろう?」
 ち。胸の中で舌打ちをする。
 『覚醒者』だとか『超越者』ってこんな化け物なのかよ。
「な、なぁ……」
 息も絶え絶えに逸見の方に顔を向け声を掛ける。逸見は「ん? どうした?」と言った風に耳を傾けた。
「お、おま、えと、豊……た、まって、どっちが強い?」
 とりあえず、聞いてみた。「ふ、む」と鼻を鳴らし逸見は考える。
「状況に寄るだろうが……状況が対等であれば、恐らくあの女は俺より強い。くぐってきた修羅場の数が違う」
 ……そうかよ。豊玉のほうが強いのか。
 俺はさっきの一撃で手放してしまった竹刀を視界の端に見つけ手を伸ばす。
 そしてそれを杖代わりにして何とか立ち上がった。
 足がガクガクと振るえ、竹刀で支えていないとまともに立っていられない。
「――これで……かわした、ねぇ」
「あぁ、かわしたよ。間違いなくな」
「ちょ、『超越者』って、半端ねぇんだな……実感したよ」
 まともに戦える相手じゃないな、やっぱり。
「わりぃ、やっぱ少しの間任せていいかな……ボディーガード」
 言って支えにしていた竹刀も空しく、再び剣道場の床をなめる事になった。
 それにしても……なんか、謝ってばっかだな俺。
 いつの間にか剣道場の入り口に豊玉が立っている。
「……任された」
 俺の言葉にぽつりと――応えた。
 そして、俺と逸見の間に立ち逸見を睨みつけた。
「来たか。日下の次は俺を消すか?」
「……必要ならば」
 豊玉は端的に答え、ちらりと倒れこんでいる俺の方を見た。
「でも、彼が望まない」
 そう言って再び逸見に視線を戻す。
「私は彼の手伝いをするだけ。この決着をつけるのは彼」
「そうか……それがお前のそいつに対する贖罪か」
「違う。これは彼女との約束。日下さんは私に託した――」
 ――彼の世界を守って欲しいと。
「だから……私は守る。彼の世界を」
「そうか、ならばそいつが目覚めるまで遊んでくれると言う事か」
 豊玉はこくりと頷き、逸見に向かって駆け出した。 
 水弾が逸見を襲い、逸見はそれを竹刀で弾く。
 まるで特撮映画のように繰り広げられる異能力者達の戦い。
 異能力者同士の戦いには剣道場は狭かったようで、校庭に続く扉から逸見と豊玉は飛び出していった。
 俺は一人剣道場で無様に残されてしまったらしい。
「あはは。女の子二人に守られるなんて、随分とカッコいい王子様だね」
 直ぐ近くで声がする。
「だから言ったじゃないか、普通の人間のまま彼と戦うなんて無謀だって」
 声のした方に何とか視線をやると俺の傍に三上がしゃがみこんでいた。
 うるせぇ。
 もしかしたら、と期待してたんだよ。悪かったな。
 俺の抗議の視線を意に介せず、三上は倒れこんでいる俺を仰向けに寝かせ頭を自分の膝の上に乗せる……つまり膝枕をしたわけだ。
 身体がまともに動かない俺はされるがままである。
 そして俺の額に手を当てる。なんだか痛みが和らいで行く気がした。
「覚悟は決まったのかな?」
「そう、だな」
 ただの人間にはあいつは止められないのが良くわかった。
 だが、逸見は俺が止めなくてはいけない。
「豊玉さんに任せて眠ってしまうって方法もあるけど?」
「いいから、頼む」
 俺がそう言うと三上は俺の顔を覗き込み目を閉じる。
「な、何をっ、する気だっ!」
 つい叫んでしまったが、身体が痛んで少し詰まった。
「眠り姫を起こすのは王子様の口づけってのは定番じゃないか」
 と言って、悪戯っぽく笑う。
「ほ、他に方法はないのか!?」
「無い。って言ったら?」
 ぐ……ぅ、それなら、仕方が無い。苦々しくそうつぶやき、俺は覚悟を決めて目を閉じる。
 しかし、待てど暮らせど何かが起こる気配は無い。
 俺が片目を開けると三上が声を殺して笑っていた。
 目を開けたのに気付いたのか三上はこちらを見て
「くっくくく……ほんとキミは可愛いよ」
 ま、また騙されたっ!?
「くっそ! さっさとしろよ! 豊玉にまかせっきりになっちまう」
 少し泣きたくなった。畜生め。
「分かったよ。全くキスしろって言ったり、するなって言ったり忙しい人だねキミは」
 キスしろなんて俺は一言も言っていない。
 非難する俺の顔をにやにやと笑いながら三上は見ていた。
 くっ、人の純情を弄びやがって!
「さぁ、行っておいで決着を付けに」
「?」
「終ってるよ。もうキミは立派な『覚醒者』さ」
「早っ!?」
「早い、上手い、軽いがボクの売りだからね」
 どんなキャッチコピーだ。しかし軽薄なのは自覚あるんだな。
「でも、『覚醒者』になったからと言って、彼に勝てるとは限らないよ? 普通『超越者』を相手にするときは少なくとも二、三人がかりで戦うものなんだ。それ程『超越者』って言うのは強力な存在なんだよ」
「でも逸見は豊玉の方が強いって言ってたぞ」
「彼女は別格だよ。さぁ、早く行かないと君の出番がなくなっちゃうよ?」
「いや、立てねぇんだけど……」
 それ程俺の体はガタが来ていた。
「ボクの膝枕が名残惜しいのは分かるけど、いつまでもボクに甘えないように。もう身体は回復してるはずだよ?」
 そう言われて身体が随分と軽くなっていることに気が付く。
 言われたとおり立ち上がると、身体のどこも痛くなかった。
「さて、一つアドバイス。異能力者の戦いはお互いの存在力同士をぶつけるようなものだ。自分の存在が相手よりも強いって意識を常に持つ様にする事。後は、剣道と同じ要領でやればいい線行くと思うよ」
「なんか実感わかねぇな」
「そんなもんさ、夢から覚めたばかりの時はどっちが夢でどっちが現実かなんて判然としないものさ、しばらくしたら色々思い出すよ」
 そう言って竹刀を投げてよこす。
「もし、やられたら豊玉さんが決着つけちゃうからね」
「あぁ、そうならない様に努力する」
「勝っておいで王子様」
「あぁ――」

 ――勝って来る。

 俺の言葉に三上はシニカルな笑いで答えた――。


 ***     *** ***


 校庭に出ると月が夜の青を引き連れて空に浮かび、太陽は一日の名残を惜しむように未だその身の半分を山の上に残していた。
 まだ、運動部が帰宅するには早い時間だったが校庭には二つの影があるだけだった。それ以外に人の気配は無い。
 校庭にやってきた俺を逸見は目ざとく見付けニヤリと笑う。
「決着――付けようぜ逸見」
 とは言え、自分が『覚醒者』になった自覚は無い。さっきのような逸見の一撃を受けきれるか自信は持てない。
 まぁ、いい。試せば分かる。
 ゆっくりと逸見に対峙する豊玉の横に立つ。
「サンキュな、豊玉」
 こくりと頷いて応える。
 そして、逸見に背中を向け立ち去る時に豊玉が言った。
「日下さんの事は――後で」
「あぁ……後でな」
 少し不安げに声を掛けてきた豊玉に笑顔で返す。
 豊玉は再び頷き少し離れ、邪魔にならない場所に陣取った。
 それを見届けてから逸見に向き直る。
「待たせたな」
「そうでもない。どうだ目覚めの気分は」
「実感わかねぇな。まだ夢だと思いたい気分は無くはない」
「それにしても、お前……いい奴らに出会ったな」
「そんな長い付き合いでもねぇけどな。ほんの一日、二日じゃ所詮知り合い程度だ。お前や桜程親しかねぇよ」
「嬉しい事を言ってくれるな」
「親友だからな」
 そう言って笑いあう。
 親友だから、お前は俺が止めるんだ。
「行くぞ。今度は本気で行く」
「お手柔らかに…なっ!」
 その言葉と同時に俺達は駆け出し切り結ぶ。いや、竹刀が打ち合う直前で逸見の見えない壁に止められ弾かれた。
 弾かれ、体勢を崩した俺の胴を逸見の竹刀が横に薙ぐ。
その逸見の竹刀に、俺はもう一歩強く踏み込み打ち込んだ。
やはり見えない壁に弾かれるが、その反動を使って後ろに飛び逸見と距離を取る。
「ち。何だよ」
 舌打ちと共に悪態をつく。逸見は横薙ぎにした竹刀を持ち直しにやりと笑った。
「『存在力』の壁ってヤツだ」
 言うと同時に、逸見は竹刀を脇に構え間合いをつめる。
 一瞬で俺の懐に潜り込むと、全身のばねを使って下から斬り上げた。
 不意をつかれた俺は辛うじて竹刀で受けるが、竹刀が触れ合った瞬間爆発的な衝撃が走る。
 剣の威力に俺の足が地面から離れ、宙に浮いた。
「そして、『存在力』を込めた一撃は計り知れない威力を発揮する」
 まるで流水のように滑らかに上段に構えなおし、逸見は迷い無く竹刀を振り下ろした。
 辛うじて空中で体を捻り刀身の直撃はかわすが、見えない力場に撥ねられ吹っ飛ばされる。
 ぎゃーす。
 なるほど、剣道場で床を舐めさせられたのはこいつの所為か。
 うまく着地が出来ず、グラウンドを転がった。今度はグラウンドの土を舐めろってか。どんだけサドなんだお前。

 ――しかし。

 俺はすっくと立ち上がり、逸見に向かいなおる。
 剣道場の時とは違って体は動く、少し見ないうちに頑丈になったな俺。
 逸見と俺はお互いに視線を交わし、申し合わせたように走り出す。

   ――自分の存在が相手よりも強いって意識を常に持つ様にするんだ。

 ふと三上の言葉が頭をよぎった。
 俺は、力強く踏み込み俺の『存在』を込め(ちなみに具体的にどうやればいいのか分からないのでなんとなくのイメージだ)全身でぶつかるつもりで逸見に竹刀を振り下ろす。
 く。と逸見が呻き、初めて足を踏ん張って防御らしい防御の構えを取った。
 俺の竹刀は逸見に届く前に、不可視の壁に留められる。ヒステリックな悲鳴にも聞こえる耳障りな音が周囲に響く。
 さっき吹っ飛ばされた時とは様子が違った。
「吹っ飛べ逸見ぃぃぃぃぃっ!」
 俺の叫びに応えるかのように、竹刀が不可視の『壁』を切り裂き、逸見の竹刀へと届いた。
 その瞬間。お互いの『力』が竹刀を通して直接ぶつかり、竹刀がその負荷に耐えられず爆ぜ飛ぶ。
 破片が俺の頬を傷つけ、血が――つぅ、と伝った。
 刀身が無い竹刀を振り下ろした格好のまま、その力……自分の力に驚きを隠せない。

 ――だが。

 と、衝撃に弾かれ少し後退した逸見を睨み付ける。

 ――今度は力負けしなかった。

「面白くなってきたじゃないか」
 ふ。と笑い、もう柄しか無くなった竹刀を足元に放り投げた。
「お互い武器が無くなってしまった訳だが……」
「拳で友情を確かめ合うか?」
「それも悪くない。だが、俺たちの決着にはやはり剣が相応しい」
 そう言って逸見は地面に手をつき、まるで地面から何かを引き出すように手を引く。
「こんなのも悪くないだろう?」
 逸見の手には歴史の授業で見た……確か黒曜石のような物で出来た剣が握られていた。
 それは月の光に照らされ、鋭い刃が怪しい光を放つ。
 ひゅんと鋭い音を伴い空を斬り、逸見はその剣を構えた。
「岩永君。それはちょっと不公平じゃないかな?」
 俺を追いかけて出てきたのか、いつの間にか三上が豊玉の隣で観戦していた。
「彼はまだ起き抜けの寝ぼけ眼なんだよ? もう少し丁寧に教えてあげても良いんじゃない?」
 ちらりと三上を見て逸見はにやりと笑う。
「構わんよ。だが俺は説明が下手なんでな」
「なら、ボクが説明しよう」
 ちょっと得意げに胸を張りそう三上は応えた。
「ボクら『覚醒者』は、自分の性質にあった物を使って武器を作ることが出来るんだ。豊玉さんが水を武器にする様にね」
 そう説明しながらゆっくりと俺の方に歩いてくる。
「キミの場合は『月の光』だ――『月』が出てる時に最も力を発揮することが出来る」
 俺の後ろまで歩いてきて月を見上げた。
 月は遠い空に淡い光を放ちそこにあった。西には太陽が辛うじて光の尾を残している。
「幸い今はキミの時間だ。武器を作ることなんて容易いはずだよ」
 にっこりと笑い、俺の手をとる。
「イメージするんだ。自分の武器を――岩永君に打ち勝てるような剣を」
 と言って三上は俺にウィンクして「勝って見せてくれよ?」と続けた。
「あぁ、俺に惚れんなよ」
 軽口で返してやる。にやりと不敵に笑う三上。
 俺はイメージする――逸見に打ち勝つための……止める為の武器を。
 冷たい光が三上に握られた俺の手に集まってくる。
 その幻想的な現象に息を飲み目を奪われた。
 光が剣の形を取り、収束、そして俺の手には冷たい光を帯びた柄の長い『短剣』が残った。

 ……。

「短かっ!?」
「ぶ。あはははははは。キミ想像力ないのかっ! あっはははは」
 三上大爆笑。
「う、うるさいっ! 初めてなんだからしょうがないだろっ!?」
「キ、キミはボクを笑い死にさせるつもりかぁ!? ま、まぁ、いいさ。もうそれでやるしかないよぉ……くっくくく」
 笑いすぎだ。
 泣いちまうぞ、俺。
「ち。ちくしょう」
 悔し紛れにその短剣を逆手に持ち、空を斬る。
 ――ぞくり。
 一瞬背筋に悪寒が走った。
「ま、まぁ、いいさ。もうそれでやるしかないよぉ……くっくくく」
 三上がもう一度同じ事を言った。
 なんか、妙な違和感を感じる。
「さて、仕切りなおそう。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう」
 苦笑しながら逸見が声をかけてくる。
「あ、あぁ、そうだな」
 俺は短剣を構えなおす。
 ちくしょう。もうちょっとかっこよく戦いたかったよ。
「ここからは異能者らしい戦い方をしようか」
 俺の心中を知ってか知らないでか、そう言いながら逸見は剣を持っていない手を地面につけた。
 その瞬間、背筋にさっき感じたのと似た悪寒が走った。
 俺は慌ててその場から後ろに大きく飛びのく――その瞬間地面が盛り上がり、盛り上がった地面が鋭い錐の様に一瞬前に俺が居た場所を貫いた。
 その光景を見つつ、俺は地面に足がつくと同時に右に飛ぶ。
 錐の先端から刃物の様に鋭く尖った黒曜石の刃がもう俺が居ない地面を抉る。
 俺が逸見の攻撃をかわし次に地面に足をついた場所は、深いぬかるみになっており足を取られた。
 ち。これも逸見の能力かっ!
 心の中で悪態をつき逸見に視線を戻すと、そこに追い討ちを掛ける様に逸見が上段から斬り付けてくる。
「げげぇっ!」
 蛙のような叫び声と共に逸見の黒曜石の剣を短剣で受け止める――ちりちりと直ぐ目の前で火花が散った。
 長い柄の部分を両手持ちで握りなんとか受けきれた。が、逸見の剣は少しずつ重みを増して行き、俺はぬかるみの中に膝をつく。 
「相変わらず勘が良いじゃないか。初めて異能者と戦っているようには思えんぞ」
「何となく嫌な予感がするんだよっ!」
 気合をもって逸見を押し返し隙を見て腹に蹴りを入れてやる。
 苦痛に顔を歪めながら俺の想像以上に吹っ飛ぶ逸見を視界に入れたまま体勢を立て直す。
 逸見は地面に着地しても吹っ飛ばされた勢いを殺しきれず、空いている左手と両足を踏ん張ってやっと止まった。
 逸見の手にはいつの間にか剣が握られていない。
 ――ぞくり。
 また、あの寒気。
 その寒気に無意識のうちに身体を反らす。
 瞬間、逸見が持っていた剣が地面から俺の首目掛けて飛び出してくる。
 首をひねって何とかかわすが冷たい刃が俺の首筋を掠めた。
 一瞬遅かったら死んでたかもな。
 そう胸の中でつぶやきつつ逸見に向かって走りこみ、逆手に持った短剣を下から上へと斬り上げてやる。
 いつの間にか手に戻った剣で受け止めた逸見が呻き声を上げた。
 怯んだ所を見逃さず、俺は続けて短剣で斬り付ける。小回りの利く短剣での連続攻撃に逸見は受ける一方になった。
 刃が交わる度に俺自身にも重い衝撃が走り、骨にまで響き渡る。ぎしぎしと身体が軋んだ。
 身体に悲鳴を上げさせながらも、俺は息の続く限り斬り付ける。
 聞こえてくるのは刃の交わる金属音と、自分の呼吸。逸見の息遣い、そして俺の心臓の音――後は何も聞こえない。
 周りの色が消えていく――白と黒の世界へと変わっていく。

 ――このまま終るのは勿体無いな。

 俺の意識の遠いところで、ぼそりと逸見が呟いた。
 瞬間、俺の動きが止まる――脇腹に鋭い痛みが走る。
   その痛みにバランスを崩し、俺は逸見にもたれ掛るようになった。
  
「悪いな」

 そう言って逸見は空いている手の一本で俺を突き離した。
 四本ある手の内の一本で。

「俺は普通の人間じゃない」

 俺は空を仰ぎながら地面に倒れこむ。
 その衝撃で、俺の肺から空気が漏れた。
 空には青白い月がぼんやりと見えた――妖しく……綺麗な月だ。
 俺の脇腹には黒曜石で出来た短剣が突き立っていた。
「お前のほうが手数が多かったんでな、俺も手を増やさせてもらった」
「ぃ異形化……ってやつか」
「そんなところだ。異能者らしいだろう?」
「はっ、はぁ……親友に刺されるなんてな」
「あぁ、後は親友としてきっちり首を落としてやろう」
 そう言って逸見は容赦なく。加減なく。慈悲なく。その剣を振り下ろす。
 俺は仰向けに倒れたまま、痛みでぼんやりする頭で逸見の剣を受けようと短剣を振るった。

 ――刹那。

 空気の裂けるような耳障りな音と共に一瞬にして世界から音と色が消える。
 目の前には冷徹な目をして俺の首を落とそうと剣を振り上げた逸見。
 何が起こったのか分からず、周囲を見回すと豊玉が駆け出そうとした格好で止まっていた。
 色も音も無い世界の中で動いているものは居なかった。
 いや、唯一動いている存在が一人……俺だけだ。
 ――ぞくり。
 寒気を伴った嫌な予感が全身を襲う。
 俺は脇腹の痛みを堪え、慌てて逸見の剣が届かない範囲に逃げ出した。
 直後、激しい破砕音と共にグラウンドに大穴が開く。
 首を落とす以前に体ごとバラバラになるわそんな一撃。
 巻き起こった土埃の中で逸見は訝しそうに辺りを見回していた。俺を探しているのだろう。
「お前。何をした」
「さ、さぁな」
 含みを込めて応える。
 事実、俺も何が起こったのかまだ理解していない。
 ちらりと三上と豊玉の方を見ると、豊玉も何が起こったか分からない様子だ。
 三上は腕を組み、じっと俺の方を見つめていた。心なしか笑っている様な気もする。
「まぁいい。俺は俺の出来る事をするまでか」
 そう言って逸見は地面から空いている手の分の剣を引き出した。
「怪我人に容赦ねぇな、岩永先生は」
「お前は好敵手だからな、容赦したら裏を掻かれかねん」
 地面から取り出した四本の剣を器用に構えて戦闘態勢をとる。
 刺された脇腹がじくじくと痛む。
 俺は何とか立ち上がり、左手で傷口を押さえながら右手で短剣を構えた。
 シャツが俺の血で赤く染まっていく。
 傷の痛みが逆に俺の感覚を。意識を鋭く尖らせていく。
「余裕だな」
 逸見が言った。
「この状況で笑っていられるなんて」
 言われて気付く――自分が笑っている事に。
「は。やっぱ、お前とやりあうのは楽しいな、なんて思っちまってるのかな」
 笑わないとやってらんねぇのかもしれねぇけどな。
 親友と殺し合いなんてよ。
「でもよ、そろそろ終わりにしねぇとな――こんな馬鹿なことはよ」
「終わりにするのは残念だが……馬鹿な事だというのには同感だ」
 逸見は自嘲するように笑い、いつでも攻撃に転じられるように間を詰める。
 短剣を持つ右手に力が入った。
 やるにせよやられるにせよ、多分次で終わりだ。次の機会を失えば俺の体力はもう持たないだろう。
「だが、そうだな、終わらせよう」
 逸見のその言葉に俺が息を飲んだ瞬間――逸見が消えた。
 俺の反射速度を遥かに超えた動きで、俺の息の根を止めるべく動いたのだろう。
 このままだと刹那の内に、俺の命は逸見という『超越者』に消し去られるだろう。

 俺自身それを意識できていたかどうか分からない。

 それは『覚醒者』としての本能、そして予感と言うべき物だったのかも知れない。

 俺は無意識に右手の短剣で何もない空間を斬った。
 世界が耳障りな金切り音を立てて断ち切られ、その傷口から白と黒の世界を吐き出した。
 それは俺の周囲から音も色を奪い去り、残ったのは完全に凍り付いたモノクロの世界。
 俺以外の存在の活動を許さない、俺だけの世界だった。
 逸見は既に俺のすぐ目の前に迫っている。四本の剣で俺の体を分断しようと大きく振りかぶっていた。
 だが。その剣が振り下ろされることは無い――少なくとも、あと少しの間だけは。
 凍りついた世界の中で、大きく剣を振りかぶっている逸見は当然の事だが隙だらけだった。
 今ならば。
 逸見の胸にこの短剣を突き刺すのはあまりにも簡単な事だろう。
「お前の事は――」

 ――ちゃんと俺が背負ってやるよ。

 そう呟いて、俺は逸見の胸に短剣を突き立てた――。

 なんだよ。ヒーローなんかじゃねぇじゃねぇか。

 そんな事を誰にとも無く呟いた。


 ***     *** ***


 ――満足だ。

 夕日が山の向こうに完全に沈む頃、仰向けに倒れた逸見は満足そうにそう呟いた。
 胸からは大量の血を流し、そしてその血は夕闇に溶けるように消えていく。
 世界にこいつの存在の全てが溶け込むかのようだった。
「悪かったな、つき合わせて」
「親友……だからな」
 そう応えた俺の後ろにはいつの間にか三上と豊玉が立っていた。
「キミは最初から負けるつもりだったね」
「はは、生徒会長。それは勘違いだ。ただ単にそいつが強くて、俺が弱かった。それだけの事だろう?」
「そうかい? そう言うならそういう事にしておこう」
 三上は大して面白くもなさそうに言った。
「日下の事は悪かったな。お前には悪い事をした」
 俺の方に視線だけ向けて逸見は言う。
 俺は何も答えられなかった。
 その様子を見て逸見は続ける。
「あの女は心が強かった。お前が惚れるのも無理は無い」
 視線を空に向けながら言った。微笑んでいるようにも見える。
「日下さんを『眷属』にしたのを後悔していたんだね」
「あぁ、そうだな。今思えばお前と、桜と、日下が居て、ただ退屈な日常を過ごすのも悪くなかっただろうなと、今更だが思う」
 俺を見てそんな事を言う。
「日下はな、俺の『眷属』になってもお前の世界を守ろうとしたんだ。普通なら、意識なんか残らないはずなのにな」
「しかし『眷属』になったものは、『超越者』と同じくもう人間には戻れない」
 逸見の言葉を三上がそう継いだ。
「そうだ。だから『眷属』になったあいつは、人の存在を喰う前に自分が消される事を望んだ。そしてお前の事を託したんだ――豊玉さんにな」
 それが、豊玉の『約束』
「あぁ、そうだ。生徒会長」
「愛の告白かい? 死ぬ前のキスくらいならサービスしてもいいけど?」
 明るく振舞う。
 三上なりにその場の雰囲気を暗くしないようにという気遣いなのだろう。
 たった二、三日の付き合いだが、こいつの性格は少しは分かったような気がする。
「はっはっは。生徒会長がそんな面白いやつだったとは。もう少し早く知り合っていたかったな。残念だ」
「それはこちらもだよ」
 逸見の豪快な笑いに腰に手を当てシニカルな笑いで返す。
「そいつの事、よろしく頼む」
「あぁ、任されたよ」
 そう言う三上の隣でこくりと豊玉が頷く。
 逸見の体が少しずつ……夜の闇に溶けていく。
 元々、存在しなかった人間として世界に喰らい尽くされていく。
 そろそろか。と、ぽつりと逸見がそう呟いた。
「じゃあな、親友。俺の事は忘れてくれ」
「は、忘れたくても忘れられるもんかよ、親友」
 いつも交わしていた様な憎まれ口。
 恐らく最後になるであろう親友との会話。
「はっはっは、上手く行かないもんだな」
「上手く行く事のほうが少ねぇもんだぜ?」
「そうだな。本当にそうだ」
 そう言ってこいつらしい不適な笑みを浮かべた。
「すまなかった――」
 ずるいよな、お前は。
 そんな言葉ひとつで俺から逃げ出すんだから。
「あぁ」
 許すしかねぇじゃねぇかよ、親友。
「お前の事は絶対に忘れねぇ……この世の誰もが忘れちまっても、俺は絶対に覚えておいてやる」
「嫌がらせだな」
「嫌がらせだよ、俺がお前に出来る最後の……な」
 俺の言葉に苦笑しながら「あぁ」と口にしたのを最後に、逸見は完全に闇に溶けた……。


 そのまま、どのくらい時間が過ぎただろうか。
 逸見との戦闘で出来た校庭の大穴も逸見が消えると同時に無くなった。
 あいつが存在した証は、一切残さず消え去った。
 今まで一体どこにいたのか分からないが、校庭には部活動が終わった後の生徒たちが帰路についていて、呆然と校庭の真ん中に立っている俺たち三人を訝しげに見ている。
 もう、あたりは完全に暗く、辺りを照らすのは校舎から漏れる明かりくらいだ。
「人払いの結界が無くなったね。でも、まぁ、万が一今のを目撃した生徒が居ても、彼の存在が消えた時点で、その事は無かった事になる。だから――」
 三上はそこまで言って「――いや」と頭を振る。
「今、話す事じゃなかったね。すまない、ボクは先に戻ってるよ」
「三上」
 背を向けて帰ろうとした三上に声をかける。
「サンキュな」
「ん? あ、あ〜、うん。そうだね。まぁ、ほら、そんな気にする事無いよ……って難しいか。難しいよね。ん〜……べ、別にキミの為に力を貸したわけじゃないんだからね!」
 なぜツンデレか?
 でもまぁ、これもこいつなりの気遣いなのが良く分かった。
 心なしか顔が赤く見えるのは辺りが暗いせいで見えなかったという事にしておこうか。

   ――いい奴らに出会ったな。

 逸見が言った言葉を思い出す。
 あぁ、俺もそう思うよ。

「今後とも、よろしくな」
「キミみたいないい人には辛いかもよ?」
「一緒に背負ってくれるんだろ?」

 俺の言葉に三上は少し驚いたような顔をした後、シニカルに笑って応える。
 豊玉はやはり黙って頷いた。

 あぁ…いい――仲間だ。