■A邂逅■ |
昼には多くの生徒で賑わう食堂も、今は部活上がり連中が、渇いた喉を潤すための休憩所となっていた。 俺以外には数人の生徒がテーブルに突っ伏して寝ていたり、ぼそぼそとなにやら喋っている。 外はもうずいぶんと暗くなり始めていた。 この時期は日が暮れ始めるとあっという間だ。つるべ落としとはよく言ったものである。 「珍しいな、お前がこんな時間まで学校に残っているなんて」 俺が食堂の自動販売機で飲み物を買っていたところに、部活上がりっぽい逸見が声をかけてきた。 屋上での事を思い返し「ああ、俺も珍しいと思うよ」と答えながら、取り出し口からコーラを取り出す。 プルタブを起こして缶を開け、手近なテーブルに腰を掛けコーラを煽った。炭酸が喉に心地よい。 その泡と一緒に十代のいろんな悩みも泡沫に変えて消して欲しいものだ。 「お前もなんか飲みに来たのか?」 「そんなところだ」 逸見は自動販売機にコインを入れ、迷うことなくお茶のボタンを押した。 相変わらず炭酸は苦手らしい。 お茶を手にしたまま俺が腰掛けているテーブル付近の椅子を引き寄せて座り、ふぅ……とため息をつく。 いつもと違い逸見の動きは重い。 「疲れてんな」 「そうだな」 「主将はヘヴィか?」 「それなりに。……まだ先輩達が顔を出すもんでな」 「迷惑な話だな」 「あぁ、迷惑だ。気ばっかり使う。まぁ、なかなか上手くいかないものだ」 「真面目過ぎるんだよ、お前は」 ずっとお茶を眺めて俯いていた逸見はふと俺を見あげ「お前ほどじゃない」等と冗談にもならない事をにやりと笑いながら口にした。 こいつはこう言う表情がよく似合う。 逸見との付き合いは高校になってからだが、こいつと過ごすこういう時間は嫌いじゃなかった。 お互い特に話すことも無くても苦じゃないヤツっていうのだろうか。 しばらくの沈黙の後、逸見が口を開く。 「なぁ……」 「無理だ」 「俺は何も言って無いぞっ!?」 「金は無い」 「誰が金を貸して欲しいと言ったっ!」 「違うのか?」 「親の保護下にある俺は、お前ほど金に困窮していない」 茶化すなよ。そう言いながら逸見は飲みきった缶をゴミ箱へと放り投げる。 あ、外した。 苦笑いをしながら、逸見はゴミ箱からこぼれ落ちた空き缶を拾いゴミ箱に入れなおす。 「やはり、剣道以外は苦手だな」 自動販売機の光が逸見の顔をぼんやりと照らしている。 ……戻って来いよ――剣道部に。 こちらを振り向かないまま、そう逸見が言った。 少しの間の沈黙。 一度息を呑み、俺は「無理だよ」とだけ答えた。 そう、無理だ。それは俺のけじめだから。 「警察沙汰の事件を起こした俺が戻ったら、お前らに迷惑をかける」 「あれは、お前の所為じゃない」 振り返り俺を見て続ける。 「だからお前はまだ学校にいられるんだろう?」 「人に怪我させたのは俺だ。それにあそこで暴力を振るったのは俺の意思だ。警察沙汰を起こした俺は学校側からすれば迷惑な存在だよ」 まぁ、退学にならなかった事はある意味幸運だったと思う。 その暴力事件が、俺が学校で不良と呼ばれている理由でもあるのだが。 「どうしても……か?」 「あぁ。悪いけどな」 俺の言葉にため息をつき「頑固だな」とぼそりとつぶやく。 「悪かったな」 「お前のそういうところは嫌いじゃないがな」 「男に好かれたって嬉しかねぇよ」 「ははははは、最もだ」 俺達は互いに笑い合う。 憎まれ口を叩き合いながらも、こんな時間も悪くない。そう思った。 「まぁ、お前の気が変わるのを待つさ」 「はっ、期待はすんじゃねーぞ」 「期待くらいさせてくれよ」 苦笑しながら逸見は言った。 「やめようぜ、こんな話。もう取り戻せねぇんだし」 「そうだな――だが残念だ」 「何が?」 「お前と剣を交えられない事がだ」 ふぅ。とため息をつく。 「今の剣道部の部員では練習にならないんだ」 「ははは。なにせ全国大会でも有名な岩永先生だもんな」 「先輩たちも含めて、俺とまともにやりあえたのはお前くらいだったんだがな」 「まぁ三本勝負ならまず間違いなく負けてたけどな」 つまり、三回立ち会って一本取れるか取れないか位逸見と俺は差があったわけだ。 今となってはその差はもっと開いている事だろう。 俺にはこいつより強い奴が居るなんて想像が出来ない。 「全国大会では負けたけどな」 「あん時、お前やる気無かっただろ」 「お前が居なかったからな、仕方ない――俺はお前が居ないと駄目なんだよ」 気持ち悪いわ。 逸見も分かってて言っているから、その言葉は口にせず「気持ち悪いわ」と言ってやった。 ……脊椎反射で言ってるわ。俺。 「はっはっは。俺も言ってて気持ち悪いしな」 なら言うなよ。 「さて、と。なかなか悪くない時間だった」 「お互い、可愛い彼女でも居ればもっと楽しいんだろうがな」 そう言って俺は苦笑する。 「……どうだろうな」 と逸見は苦笑で返した。 「そうだ、お前傘持って来てるか?」 「あ、いや、バイクだしな」 「今日は雨降るぞ、バイクなら気をつけて帰るんだな」 「まぁ、降ってたら諦めて濡れて帰るさ」 「そうか、俺は剣道場の後片付けをしてから帰るからな、一緒に帰ってやれん。すまんな」 「男と相合傘なんて御免だよ、悪いけどな」 はっはっは、最もだ。と豪快に笑い「風邪には気をつけろよ」と言って剣道場の方向へと消えていった。 気づけばもう、食堂には俺しか居ない。 「さて、と」 そう呟いて、俺もテーブルに放り出していたカバンを手に取った。 *** *** *** 逸見が言ったとおり、ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。 豊玉と話をする前は綺麗に夕日が見えていたのに。 そういえば、今朝天気予報で天気悪くなるみたいな事を言ってた気がするな。 俺は普段はバイク通学しているので、あまり傘と言うものを持ち歩かない。(学校ではバイク通学は禁止されているので、バイクは近くに隠してある) だから、雨が降ったときなどは大概諦めて濡れて帰るんだが、どうも今日はそんな気になれなかった。 だから俺は学校の玄関口で、ぼけーっと雨の止みそうに無い空を見上げながら途方にくれていた。 ばんっ! びくぅぅっ! 俺のすぐ隣で大きな音を立てて傘が開かれた。 ……豊玉だった。 屋上で別れた後、先に帰ったものと思っていたが……。 当の豊玉は開いた傘を差し、少し高めに掲げてじっと俺のほうを見ている。 入れってか? 豊玉が差している傘は女の子らしくやや小振りで、俺が入ったら二人とも肩を濡らしてしまうのが落ちだぞ。等と思い、俺が「いいから帰れよ」みたいな感じで身振りで示すが、「いいから入れよ」と言ったような妙に男らしい仕草で返された。 なんでちょっと男らしいんだよ。 言葉がなくても、意外と伝わるもんだなとそんなつまらない事を考えた。 ――結局。 俺は豊玉の傘に入れてもらうことにした。 強引に傘を引ったくり、豊玉が濡れない様に気をつけながら傘を差す。 ま、聞きたいことは山ほどあったし。ちょうど良いと言えばちょうど良かったのかもしれない。 「なぁ。お前に聞きたいことが沢山出来たんだが……聞いていいか?」 学校を出てからしばらくお互い沈黙を保っていたのだが……いや、正直、無言で歩く豊玉に話しかける勇気が無かったんだけどなっ! 俺は意を決してそう話しかけた。 豊玉は不思議そうな顔で一度俺の顔をみてから、こくりと頷く。 「俺の狙われる理由ってなんだろうな」 こくり。頷く……以上。終わりかよ! いや、意味わかんないって。 今のは同意の意味での頷きか?ってことは今のは「そうだね、わかんないね」って事か……? 「想像もつかないか?」 ……こくり。 「じゃあ、なんでお前は俺が狙われるってわかったんだ?」 ちょっと豊玉が難しい顔をした……気がした。 この質問には頷くことはしなかった。「悪いけど、答えられない」と言うのが近いか? こいつ、頷きだけで答えられないのは答えないってだけじゃないか? 等と思い初めてしまう。 「おまえ、あんまり喋んないけどさ……キャラ作りってやつか?」 こくり。 キャラ作りなんだ!? せめて、大事な事くらいはちゃんと喋って欲しいもんだよなっ? なんだか涙が出てきそうだった。 これなら此花の真性サドマゾのキャラのほうがコミュニケーションが取りやすい。 あっちはあっちで混沌としているのは間違いないけどな。 少しの間。 少しの間を取って。俺は 聞きたかった事を口にする。 「それで――」 ――お前は俺に用があるんじゃないのか? 俺がそう言おうとした時、急に豊玉が立ち止まりじっと俺を見つめていた。 その瞳は力強く、そして悲しそうだった。 ばたばたばた。 雨が傘をしきりに叩く。 ばたばたばたばた。 雨足は強く強くなっていく。 ――こそ……。 ばたばたばた。 豊玉が口を開く。 声が小さくてよく聞き取れない。 ――私があなたを守るから。 雨。こんな小さな傘では避け切れない強い雨。 目の前にいる豊玉の声も掻き消えるほど強い雨の中、この言葉だけ耳に残った。 その強い雨音は、俺に非日常の訪れを告げる足音だったのかもしれない。 豊玉は俺からゆっくりと視線を外し、道の先を睨んだ。 それは何かを予感させた。 それは、俺が望んでいた非日常の始まりだった。 それは。俺の望まなかった悪夢の始まりだった。 ――それは悪夢そのものだった。 雨の中、それは現れた。 ――ずきん。 それはまるで人が樹になったような。 樹が人になったような。 どこかで見たことがあるような。 どこでも見たことが無いような。 樹を擬人化した抽象画のような姿。 それは救いの無い。救いの無い哀れな存在。 「……『眷属』……」 俺の口からそんな言葉が漏れる。 そんな俺の呟きに豊玉が一瞬驚いたような顔をした。「なぜ……」とつぶやいたような気もする。 俺が聞きたい。なんで俺がその救いの無い存在の事を知っている。 人に戻れなくなった人。 自らの意思ではなく何者かの意思によって操られる人形。『眷属』。 ――ずきん。 「……っ」 不快なものが頭をよぎる。 ぐわんぐわんと頭が揺れる。世界が揺れる。 自分の常識というものが音を立てて崩壊し、今まで自分が信じていた物の方が非常識だと突きつけられたような……そんな錯覚。 雨の降る暗いモノクロの世界の中、俺は状況を把握できずただ立ち尽くすことしか出来無かった。 望んでいた非日常は最も望まない形で俺の目の前に訪れてしまったらしい。 ――これが、ボクたちの住む世界の正体だよ。 どこかで聞いた、誰かの台詞が頭の中に浮かんだ。 さっきから既視感が俺を襲う。 どこかでこんな事があったような。 そんなありえないはずの記憶。 「大丈夫。あれは……『眷属』じゃない」 ――人じゃない。 はっきりと。豊玉はそういいながら、その「人」じゃないものに敵意を向けた。 化け物と俺の間を遮る様に豊玉が一歩前に出る。 豊玉が雨に濡れてしまう事が気になって傘で追いかける自分が、実に滑稽だった。 ――下がってて、直ぐ終わるから。 まるでそう言うかのように、豊玉は背を向けたまま手で俺を制した。 閑静な住宅街は強い雨の所為で音も視界も遮られ、俺たち以外の人の気配は感じられない。 ずるり。 引き擦る音。目の前の化け物が少しずつ近づいてくる。 それに対峙する豊玉は冷静そのものだった。 屋上で豊玉に感じた冷たいものが俺の背筋を走る。 それは一瞬の事だった。 豊玉が動いたと思った瞬間、化け物はその体から蔦のような触手を伸ばす。 その触手は周囲にあった民家のブロック塀をやすやすと抉り、破壊しながら豊玉を襲った。 しかし、その触手は何かに遮られて豊玉に届く直前でバラバラに飛び散り、その残骸は地面に着く前に影のように消える。 それを意に介さないかのように、豊玉は化け物に接近し右手を下から上に振るった。 それだけ。たったそれだけで化け物は分断され、千切れた触手と同じく世界に溶け込むかのように消え去る。 ばたばたばた……。 急に音が戻ってくる。 雨の音。 いつの間にか頭痛も消えていた。 まるで、さっきの事が何事も無かったかのように。 だが、民家の抉られ破壊されたブロック塀がこれが現実のものだと言うことを物語っている。 ……ブロック塀は壊れていなかった……あれ? ――また、説明をしなくちゃいけないのかな? 女の声。 豊玉の声じゃない。 だが、聞いたような覚えのある声だった。 豊玉も声のした方へ顔を向ける。 「やぁ」と体の大きさには不釣合いな大き目の傘を差し、傘を持っていない方の手をあげて、そいつは簡単な挨拶をする。 まず俺の目を引いたのはそいつの服装だった。 白を基調としたゴスロリ系の服。 俺はそういった服はそそらな……もとい興味を持てないのだが、目の前の女はこの着る人間を選ぶ服をさらりと着こなしている。 美少女。俺の第一印象は単純なつまらない一言に纏められた。 だが、何となく反りは合わない。そんな印象の女だった。 「ん? クラスメイトの顔も覚えていないのかい?」 にやにやしながらそいつは言った。 どこかで聞いたような台詞だ。 こんなやつ、俺は知らない……と思う。 「つれないねぇ」等とぼやきながらゆっくりと俺と豊玉の方へ近づいて、豊玉の横に来たところでそいつは言った。 「彼は才能があったんだよ。やっぱり説明はしておいた方がいい」 いいよね? 豊玉さん。と言った後、豊玉にやっていた視線をこちらに移した。 「半年くらいクラスメイトやってる相手に自己紹介するのも、新鮮だけどなかなか屈辱的なものだね」 そんな事をぼやいてから、そいつは言った。 「ボクは三上 照天。今後ともよろしく」 それは今朝、行方不明になったとか聞いた奴の名前だった。 ……女だったんだ。 *** *** *** 「あぁ、それはガセ情報だね。確かに今日は用事があって休んだけどさ。ボクはこのとおり行方不明になんかなっちゃいないよ」 あはははは。と黄色い声を上げて三上は笑った。 うちの学校の生徒会長。絶対的なカリスマ。 一年の時から生徒会長をしているとか。 そういえば二年のクラス替えのときそんな話聞いた気もするな。 どうやらこいつは任期2年目の生徒会長って事らしい。 三上と豊玉に連れられてきたのは、木造の味のある雰囲気を持ったとある喫茶店だった。 cafe「天津」 てんしん……と読むのか? と聞いたら「それじゃ甘栗じゃないか。これは『あまつ』って読むんだよ」とけらけらと三上に笑われた。 豊玉と違いよく喋るやつだ。 店内は落ち着いた雰囲気で、切り出した木をそのまま使った温かみのあるカウンター席があり、窓際には四人がけのテーブル席が三つある。 俺たちは三上に促されて、テーブル席のひとつに座った。 メニューを見ながら「キミ結構食べる方?」「豊玉さんはいつものでいいよね?」「あ、これボクのお勧めなんだよ、キミの分も頼んどくね」「食後のデザートはこれでいい? 3人で一緒に食べようよ」一方通行な会話が繰り広げられ、それを気にする風も無く次々と注文する三上。 ちなみに生活に困窮している俺は支払い能力は無い。 その事を伝えると――。 「甲斐性無しなんだね? 大丈夫ここはボクが持つから」 さらりと酷く傷つくことを言われた。 悪気が無さそうなのが余計に傷つく。 反りが合わなそうだという俺の第一印象は正しかったようだ。 そして次々と並べられる料理。 喫茶店の割にはメニューが豊富だった。 普通喫茶店って言ったらサンドイッチとかパン系が多い印象があるが、ここは肉も出るらしい。 気づけば300gのステーキが、どんと目の前に置かれていた。 これってどちらかというとファミレス系の品揃えじゃないか? ちらりとメニューを見てみると…ぶ、お茶漬けとかまであるのか。 ……ここは喫茶店だったよな? そんな事を思いながら念のため店内を見回す。 「ここには何だって置いてあるよ。夜はバーになるんだ。簡単な料理とアルコールが楽しめるんだよ」 おいおい、学生。入り浸っているような言い回しだな。 心の中で次々と突っ込みを入れるが、実際に喋っているのは三上だけだ。 豊玉は黙々とサンドイッチを口に運んでいたが、一方俺は呆気にとられて口を挟めない。 「何で黙っているのさ。とりあえず食べるか喋るかしようよ。君の赤裸々な日常生活を教えてくれても言いし、ボクのプライベートの事だって聞いてくれれば、何でも教えてあげるよ。とりあえず今のところはくだらない退屈な日々を面白く出来るような会話を楽しもうじゃないか。キミの知りたいことは」 ――食べた後に説明するからさ。 目の前のチキンドリアをスプーンで口に運びながら、三上は言った。 どこに消えたのかわからないが――ともかく、テーブルの上の山のように積まれた料理は見事にすべて無くなった。 俺も多少食べた(いや結構食べたと思う…)が、殆どは三上が食べた。 甘いものは別腹という言葉はよく言われるが、こいつの腹はいくつに分かれているのだろうか。 「ちょっとエネルギーを使ったからね、おなかが減ってるんだよ」 あまりの食べっぷりに呆然としていた俺に三上はそんな事を言った。 「さて」 ――聞きたいことは沢山あるよね? と、コーヒーカップに指をかけながら三上は切り出した。 「これからこの店を出るまで、君の質問には包み隠さず、嘘をつかず、真摯に、かつ情熱的に答える事を誓うよ。望むならボクや豊玉さんのスリーサイズや性感帯だって答えよう」 「ぶっ」と言う音と共に豊玉が口にしていた紅茶を噴出す。 無言では有るが三上の方を向き口をパクパクとさせていた。 とてつもなく新鮮な感じだ。 動揺してる豊玉は割合可愛かった。 まぁ…、興味は――有るけどな。 それは後で聞くとして…と前置きをしてから俺は聞いた。 「『お前ら』は何だ?」 「ふむ。ちょっと漠然とした質問だね。『お前ら』というのをキミがどこまで指していっているのか分からないけれど……まぁいいさ。誓いを立てた通りに答えようじゃないか」 すこし勿体ぶった言い方をして三上は続けた。 「正義のヒーローさ」 「は?」 「うん。その表情はなかなかどうして間抜けだね。キミのそういう表情が見られるとは重畳だよ」 ニヤリとニヒルな笑みを浮かべながら、実にうれしそうに言う。 人をいらいらさせるのが上手な奴だ。 「ボクや豊玉さんは一般的に『覚醒者(アウェイカー)』と呼ばれてる。一般的にと言っても、ボクたちの中での一般的にだけどね」 あはは。と軽いジョークでも言ったかの様に笑った。 「『覚醒者』?」 「夢から覚めた人間って所かな?」 ――そして、夢から覚めた人間は、もう二度と眠れない。 と三上は続けた。 そして一拍待って再び話し始める。 「この世界には『存在力』という力があるんだ。この世界に存在する為の力。よく『存在感がある』とか『無い』とか言う言葉があるよね? それってこの存在力の強弱が表面に現れているんだよ」 「『覚醒者』と、その『存在力』ってもんにどんな関係があるんだよ」 急に話が変わったため、少し憮然とした口調になってしまう。 「大有りだよ。『覚醒者』はその『存在力』を物理的に行使する事が出来る。自分がそう在りたいとか、そうなって欲しいと思うことで、なにかしらの現象を起こす事が出来るんだ。例えば…水や炎を操ったり、人の治癒能力を促進させて傷を治したりとか……まぁ、人によって得手不得手はあるようだけどね。だから、必ずしも自分の願ったとおりの力が発現する訳じゃない」 「ふむ」 と、難しい顔をして俺は黙り込む。はっきり言ってさっぱり分からん。 「まぁ…簡単に言うとボクや豊玉さんは超能力者って事さ。で、その超能力で正義のヒーローをやっているって訳だ」 「その、正義のヒーローってなんだよ」 「今日キミが見たような化け物――人に仇なす存在から、まだ夢から覚めない人々を守るのさ。つまりボク達の様な力を持たない人たちをね」 ――世界を守るために存(い)在るんだよ。ボクたちは。 と、にやりと不敵に笑った。 「その、化け物って何の為に人を……」 「食事だよ」 ありがちだろ? と端的に化け物の目的を告げた三上は少し不快そうに見えた。 「ここで言う超能力を使うにはそれ相応の体力、精神力を使う。継続して力を使う為のエネルギー補給の為に、奴らは人を喰うんだ――正確には人の『存在力』をだけどね」 『存在力』を喰う? 「そして、『存在力』を喰われた人間はこの世から消える。誰の記憶からも、ね」 三上がそう言った時、何かが頭をよぎった。 ――キミは彼女の事を憶えていられない。 「つっ」 ずきん。 また頭痛。 それと胸が締め付けられるような気持ち。吐き気がする。 どこかで、聴いた言葉。既視感。 「……なぁ」 「駄目」 俺が発しようとした事を豊玉が静かに、しかしはっきりと拒否する言葉を口にした。 「あなたは。知らないほうがいい」 ――あなたの事は、私が守るから。 豊玉はそう言ってじっと俺を見つめた。 そして三上に視線を移し口を開いた。 「それは、言うべきではない……と思う」 「ふむ、そう、だね」と口を手で隠すようにして三上は豊玉の言葉に頷いた。 「すまない。誓いを違える事になるが、その質問には答えられない。納得できないと言う事であれば、ボクの体を好きにすると良い。若い体をもてあまし、女の子の体に非常に強い興味を持っている年頃だろう? こう見えてもボクの外見は自分でも悪くないと思っている。発育だって悪くは無いはずだ。十代の欲情を吐き出すには決して過不足は無いと思う」 そんな事を捲くし立てるように言った後、顔を少し赤らめながら自分の体を抱きしめるようにして俯き、こう続けた。 「ただ……初めてだから優しくはして欲しいな」 「ば、ばかっ! そそそそんな人の弱みに付け込むような事、で、出来るかっ!」 そう、俺は紳士だ。ジェントルマンだ。そんな事出来るはずが無い。 そもそもそんな勇気無いというのはキミと僕の秘密だ。 「うん。キミならそう言うと思ったよ」 さぁ話の続きをしようか。と、にやりとあの不敵な笑みを浮かべた。 だ、騙されたっ! 俺、こいつ嫌いだっ! 「あ〜ぁ、毒気抜かれちまったよ」 なんか、どうでも良くなってきた。 「ともかく、こういう事か? お前らみたいな超能力者がいて、その超能力者は正義のヒーローとして今日俺が見たような化け物と戦っている」 こくりと三上と豊玉は二人同時に頷いた。 「んで、その化け物は人の『存在』を喰う。喰われた人間は誰も憶えていられないと。こういう事だな?」 「その通りだよ。キミは頭が悪いと聞いていたけど、飲み込みは早いみたいだね」 余計なお世話だ。 「ただ、補足するとすれば…ボク達はああいう化け物とだけ戦っている訳じゃない。むしろあれはオマケさ」 「オマケ?」 「そう。ボク達が本当に戦っているのは悪い超能力者だよ。つまりは超能力者XS超能力者って構図が、キミ達の平穏な世界の裏でずっと続いているんだ。いやぁなかなかファンタジーじゃないか」 ――つまりボク達は、世界の運命を背負っているのさ。 三上はそう言って締め括った ほんと少年誌の漫画のような話だ。 俺も今日あの化け物を見てなかったら、こいつの話なんかかけらも信用して無いだろうけどな。 「あの化け物はその悪い超能力者の手足みたいなものさ」 「『眷属』……そうだ、『眷属』とは何が違うんだ?」 俺の『眷属』と言う言葉に三上は少し眉をひそめ、豊玉を見る。 豊玉は首を横に振って「何も言っていない」という意思表示をした。 「ふむ……『眷属』と言うのは……悪い超能力者に力の一部を植え付けられて、支配されてしまった『人間』の事。今日キミが見たのは『夜鬼(ナイトガーント)』と呼ばれるものだよ」 「『夜鬼』?」 「『夜鬼』とか蠢くものとか言う意味かな。あれは触媒を使って作った……そうだな、使い魔みたいなもの。基本的に自我の無い、もしくは自我の少ない無機物や生物を触媒として使うから、連中としては手軽な手足程度と考えてもらっていい」 なるほど。豊玉が言っていた「人間じゃない」という言葉はそういうことか。 つまり三上達は、悪い超能力者、眷属、夜鬼って言うのと戦っている訳だ。 そして俺は、ふと気にかかったことを三上に聞いた。 「『夜鬼』は食事の為に人を襲うんだよな? その悪い超能力者は『夜鬼』……使い魔って奴になんで食事をさせるんだ?」 人を喰う事を食事と軽く喋っている俺は、もうこの非日常という奴に酔い始めているのかも知れない。 まるでテレビゲームみたいだと、人事のようにそんな事を思った。 「キミは、ボク達があんなに食べると思わなかったんじゃないかな?」 と、もう皿のないテーブルをとんとんと指で叩きながら言う。 確かに年頃の女の子が食べる量では無かった、と思う。 三上は間違いなく俺よりも食っていた。 「ボク達『覚醒者』は力を使う時、大きなエネルギーを使うんだ。それはその悪い超能力者も同じ。つまりボク達は普通の人達よりもお腹がすくんだよ。だから、より多くの食事が必要となるのさ」 「さっきお前が言ってた、エネルギーを使ったから腹が減るっていうヤツか?」 「そうそう。でも、これだけ多くの食事を取るのは色んな意味で大変だよね。そこで、より簡単により大きなエネルギーが補給できるものがあるとしたら……」 「それが、人間って事か」 「まぁ、さっきも言ったけど人の『存在力』というエネルギーを奪うって事なんだけどね。そして他人の『存在力』を自分に取り入れる事によって、その悪い超能力者はより強い力を得る事が出来る」 ――より強い存在になれるっていうことさ。 「そして、より強い存在になろうとする人間を……誰が呼び始めたのか分かんないけど『超越者(ヒュペリオン)』と呼んでる。人間を超えた者って意味さ。まったく傲慢な名前だよ」 最もだ。人間を喰う事で、食物連鎖の頂点に立ったつもりなのだろうか。 本能のままに喰らっているだけにしか思えない。 それじゃただの――獣だ。 人間を捨ててまで、そいつらは何になろうとしているのだろうか。何を目指しているのだろうか。ただ、夢から覚めただけでしかないのに。 「さて、ここまでの話だけだと『超越者』達は強くなって何をしたいのか疑問が出てくるよね」 まるで、俺の考えていた事などお見通しの様に三上は言った。 そんな事を思った俺に「あぁ、お見通しだよ」と三上はウィンクをしやがった。 こいつ本当に心でも読めるんじゃねぇだろうなっ! 「それはそれとして。『超越者』の目的って実はとっても簡単で、単純なんだよ」 「単純?」 「欲望だよ。食欲、物欲、睡眠欲、性欲…欲望なんて人間だったら誰だって持っているものだ。『超越者』は自分の欲望をかなえる為に強い力を得ようとするのさ」 欲望……。 「自分の中の欲望の『存在』が大きくなって、その欲望に負けた人間が『超越者』になると認識してくれればいいよ――そして、欲望に支配された『超越者』は、もう人じゃない。心も体も……ね」 と、冷めたコーヒーをスプーンでかき回しながら三上は言った。 「えと……これで『覚醒者』『超越者』『眷属』『夜鬼』まで話したのかな?」 「あぁ、そうだな」 ……多分。自信は無いが。 一度に沢山の情報を言われて、本当は何がなんだかよく分かっていないのも事実だ。 確実に理解できたのは、三上や豊玉が普通じゃなくて、普通じゃない奴らと戦ってるって事と、三上が良く喋る奴だと言う事くらいだろうか。 あと……。 「塀……そうだ、化け物に壊された塀が直っていたのは何なんだ」 気のせい……なんかじゃないはずだ。 間違いなくあの民家のブロック塀は壊れていた。 「それはね、存在が消えたものが起こした現象は全て『無かった事』になるんだよ。例えば、そうだな……」 と言って、三上は手近に在った紙ナプキンを縦に破いて見せた。 「例えば、これでボクの存在が消えたらこの紙ナプキンは破かれる前に戻るんだよ。つまり『ボク』の手によって『破かれ』たけど、『ボク』の存在が『消える』事によって『ボク』が起こした『紙ナプキンを破る』という行為・事象は起こらなかった事になるだろ? 『ボク』は存在しないんだからね」 「うん? 何となくだが……分かった、かな?」 存在が消えたら、その人間が起こした事もなかった事になるってことだろう。 「ニュートンの存在が消えていたとしたら、万有引力の法則は見つからなかったかもしれないって事さ」 まぁ、物理法則なんかはいずれ誰かが発見したんだろうけどね。と付け加えた後に「他には?」と聞いてきた。 「何で、ここまで俺に――」 ――話すんだ? 「私は……あなたには教えないつもりだった」 ずっと黙っていた豊玉が口を開いた。 屋上のときと同じ――静かな、声で。 「でも、知っていた方が……良いとも思った」 ――悲しすぎるから。 「ごめんなさい」 誰にとも無く謝罪を告げた後、また黙り込んでしまった。 その謝罪は俺に対して言ったようにも取れ、三上に言ったようにも取れ、また、ここにいない誰かに言っているようにも感じた。 ただ、何が悲しいのか…俺には分からなかった。 「豊玉さんは悪くないだろう?ねぇ?」 「ん? あぁ、むしろ助けてくれて感謝してる。ありがとな豊玉」 豊玉は俺の言葉に小さく頷きを返した。 まるで、小動物みたいだな。化け物を倒したときと雰囲気が全然違うし。 「ボクがキミに話をしたのは、才能があるからさ」 「『覚醒者』ってやつのか?」 「そそ。『覚醒者』っていう奴は、唯一『超越者』に対抗できるのと同時に、『超越者』に狙われやすいのさ」 「どういうことだ?」 「夢から目覚めている分だけ、普通に生活している人たちよりも世界に干渉する『存在力』が強いからだよ。そして、自分が覚醒しつつある事に気づかない人間……ここでは仮に『半覚醒者』と呼ぼうか。は『超越者』に対して抵抗が出来ないまま――その存在を喰われてしまう」 それが、今の俺か。 他の人間より存在力が強く、かつ『覚醒者』よりも弱い。 強い存在力を持つ人間を喰う事で『超越者』はより強くなる。って事は少し豪勢な食事ってところか。 「説明ばかりで申し訳ないね」 と言って席を立つ。立ち上がった三上を目で追った俺に気付き 「ん? 一緒に来るかい?」 「どこにだよ?」 「トイレ」 「ぶっ! 早く行けっ!」 「いや、ボクはキミにそう言う趣味があるのかと思ったよ」 それでもボクは一向に構わないんだけどね。等と言いながら、手をふらふらと振って席を離れていった。 なんで俺のほうが赤面しなくちゃいけないんだよっ! 舌打ちをしてそれを見送り、ふと窓の外を見る。 雨は少し収まって来たようだが、しとしとと降り続いていた。 豊玉も同じく窓の外を見つめながら変わらず沈黙を守っている。 なんというか、とても居心地が悪い。 三上が居た状態では三上が次から次へと話すので、間が持たないなんて事は無かったが、豊玉相手だと全然間が持たない。 一方豊玉は、そんな事を気にかける風も無く窓の外を見つめていた。 俺はこの気まずい雰囲気を払拭するために、勇気を出して豊玉に声をかけた。 「なぁ、俺が狙われているのが分かったのは『覚醒者』の素質があるっぽかったからか?」 俺の言葉に豊玉は窓の外にやっていた視線をこちらに移す。 豊玉は少し言葉を選ぶように考え……こくりと頷いた。 言葉を選んだのに頷くだけかよ。 まぁ、そうだろうと思ったけど。 「本当は……巻き込みたくなかった」 視線を窓の外に戻し――豊玉は言った。 『目覚めないでいいのであれば、ずっと日常と呼ばれる夢を見ていた方が幸せだから』 誰の言葉だっただろうか……そんな言葉が頭に浮かんだ。 「これ以上……あなたの世界を壊したくないから」 ――それが、『約束』。 豊玉の口から出た『約束』と言う言葉。 豊玉はこの『約束』と言う言葉に捕らわれているような。そんな印象を受けた。 誰と、どんな約束をしたのか知らないが、豊玉にとってはとても重要なものなのだろうと……そう感じた。 「お前にとって、その『約束』てのは大事なんだな」 その言葉に再び窓の外に視線を戻しながら、こくりと頷いた。 そして…。 「雨は……嫌い」 窓の外を見つめながらぽつりと豊玉がつぶやいた。 |