■@始まり■


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 ――だから、夕焼けは嫌いだ。

 夕焼けが、見慣れた学校の屋上を緋色に染める。
 それは。まるで映画やドラマのワンシーンのように、日常から切り取られた非日常を俺に感じさせた。

 赤く。赤く。世界は染まる。

 そんな赤く染まった非日常の中で。
 あいつと俺はいつものように笑い、くだらない話を交わした。
 退屈な日常を紛らわす為に毎日のように交わしていた、くだらない、本当にくだらない話。

 今はそれを。

 今、お互いが置かれている非日常をごまかす為に交わしていた。

 いつもと同じ。

 そう、いつもと同じなんだ。
 これは悪い夢だから、目が覚めたらまた退屈で少し幸せな日常が続く。

 くだらない話。

 それにひとしきり笑って。

 ――最後に。

 あいつは笑っていた。

 ――最後だから。

 あいつはそう言って、笑いながら泣いていたんだ。

   赤く。赤く。世界は染まる。

 まるで、ドラマのワンシーンのように。

 これだから――これだから、俺は夕焼けが嫌いなんだ。

 ***     *** ***

 寝起きはあまりよくなかった――どうも夢見が良くなかったらしい。
 シャツが汗でじっとりと濡れている。
 いくら夏休みが終わってまだ間もなく、まだ暑さは残っているとは言えその汗の量は
「え? 俺ってこんなに汗っかきだっけ?」と自問したくなる程だった。
 どんな夢かはよく覚えてはいないが、余程ろくでもない夢だったようである。
 頭を振り、目覚めを促す。
 そうすると髪の毛がぴったりと額にくっついて気持ち悪かった。
「うぁ、ヘヴィだ」
 起き上がろうとすると想像以上に体が重たい。
 唸りながら時計に目をやる。まだ学校に向かうには早い時間だった。
「シャワー浴びよ」
 重たい腰をなんとか上げてバスルームに向かい汗を流す。
 週明けの月曜日から、こんなにも気も体も重いと学校に行きたくなくなるもんだ。
 だが、成績不良の俺としては学校にいさせてもらっている様なもんだから、
 せめて出席だけはしっかりしようと常日頃から心がけている。
 一度も学校を休んだことが無いのが、俺の学校に対する誠意とも言えるだろう。
 シャワーから出た俺は、BGM代わりにテレビをつけた。
 毎朝なんとなく見ている朝のニュース番組が流れ出す。
 いつも同じチャンネルで、いつもと同じニュースキャスターやらお姉さん達が
 元気よく最近の流行だとかを番組の構成に沿って進めていく。

 ――退屈だ。

 テレビを見ながら、何か面白いことが起こらないかとそんなことを思う。
 ちょっとテレビドラマみたいな事が自分に起こってもいいじゃないか。
 などと馬鹿なことを考えてみたりするが、概ね平穏で何事も無い日常を過ごしていくわけだ。
 そしてほとんどの人間はそのまま何事も無く大人になって、何事も無い無難な人生を送っていくのだろう。
 高校生ってのは実に半端な立場だと思う。
 大人になりきれず、だからといって子供でもない。
 人生の中で一番不安定な、どっちつかずの時間なんだろうと最近思う。

 これが一般的に言えば多感な時期って奴なんだろうか。
 最近の子供(この子供ってのには俺たちも入るらしい)は無気力だ。とか夢が無い。
 とか色々といわれているらしいが、自分の夢をひとつ諦める度に大人になっていくような気がする。
 こんな考え方がクラスメイトに言わせると年寄りくさいらしい。

 人は、現実を知って大人になる。
 夢を諦める度に人は大人になっていく。
 現実ってのは退屈って言葉とイコールなんじゃないかと思う。
 なるほど、大人になるってのは退屈を知る事なのか。

 はぁ。

 ため息をつき、部屋を見回す。
 一人暮らしを始めてもう少しで一年になる。
 生活にはずいぶん慣れたが……ちょっと慣れすぎた感が部屋ににじみ出ていた。
 ちょっと散らかりすぎだよな――今日にでも片付けるか。
 流石にバイトしながら高校生やるのって結構大変なもんだ。全く、俺って苦学生じゃねぇかよ。
 家賃は親に出してもらっているとは言え、自分の欲しい物――たとえばガソリンとか……。
 いや、ただガソリンが欲しいと言う訳ではなく、もちろんバイクを乗り回したいという意味でだ。
 車両の燃料以外でガソリンが欲しいという奴はどこか犯罪の匂いがする。
 高校生のお台所事情には、バイクはなかなか維持費が高い訳で。
 その為にバイトするんだからしかたねぇやな。

 ――連続行方不明者の数はこれで三人となりました。続いて天気予報です。

 不吉な言葉の後に、妙に明るい調子の天気予報のお姉さんが各地の天気を紹介していく。

 ――今日は午前中から昼ごろまで晴れますが、夜から強い雨が振りそうです〜。

 ったく……気分のいい一日にはならなそうだ――

 ***     *** ***

 俺の学校は高台の住宅街の中にある。
 なのになぜか校門は高台の下にしかない。
 つまり、高台側にある住宅街に住んでいる生徒は、わざわざ一度校門のある高台の下まで下り、
 そこから改めて上を目指して登りなおす必要があるわけだ。
 しかもこの坂が結構な急勾配で、運動部連中が自分の体を痛めつける為の格好の場所となっており、
 運動部からは心臓破りの坂と言われて親しまれている(本人たちは親しみたくないと言っているが)。
 住宅街側から入れれば、随分と楽になるのに。という今の生徒会と多くの生徒の署名運動が実ってか、
 現在住宅街側に副門ってヤツを作っている最中である。
 完成予定は来年の春だと聞いているが、新入生が入ってくるまでに間に合わせたいとか思っているのだろうか。
 まぁ、俺は元々高台の下のアパートに住んでいるので副門が出来たところで関係ないし、興味も無い。
 だから今日も今日とて、校門を通った後の無駄に長く急勾配の坂道をだらだらと登っていく。
 夏休みも終わり、日差しは随分とマシになったがまだじとじとと暑い。
 心臓破りの坂を上っていると止めどなく汗が流れてきた。
 全く。なんて面倒な所に学校を建てたんだ。
「おっ。定刻どおりのご出勤なんて真面目な不良くんだねぇ」
 などとおちゃらけた感じで声をかけてくる奴が一人。
 しかし俺は自分が不良という自覚はないぞ。
 成績が不良なのは間違いないが、とても模範的な生徒をやっている…と思う。
 振り返るとこの急勾配を自転車でのんびりと登ってくる桜がいた。
 此花 桜(このはな さくら)俺のクラスメイトの一人だ。
 この坂を自転車で登っているのに息切れ一つしていない。
 桜は俺の歩くペースにぴったりあわせて、のんびりと自転車を漕ぐ。
 心臓破りの坂とも呼ばれるこの坂をこのペースで自転車で登ろうなんて、はっきり言って被虐趣味があるとしか思えない。
「……マゾ」
「あたし? うん。マゾだよ?」
 言い切りやがった。
「真剣にスポーツやってるやつなんてみ〜んなマゾ。
 自分の体痛めつけて追い詰めて、報われるかどうか分からない事やってんだもん」
 バスケ部の後輩が聞いたら泣きそうなセリフである。
 桜はうちの高校の女子バスケ部のエースだ。
 去年、うちの高校を県大会準優勝に導いたのは間違いなくこいつだと言える。
 俺は女子でダンクシュートを決められるヤツを初めて見た。
 身長は俺より頭一つ低いのに。
「で、マゾなあたしはサディストの君と相性がいい訳だ。って事で付き合ってみる?」
「誰がサディストだよっ!」
「え? じゃあマゾ? それは残念だなぁ」
「マゾでもねぇっ!」
「じゃあ、いったいどっちなら良いんだよ!」
「どっちもよくねぇっ!」
「またまたぁ、そんな事言って〜好きなくせに〜」
「俺にはそんな趣味はねぇっつの!」
 つ、疲れる。
 マゾだの、サドだの、朝からなんだこの惨状は。
 周りにいる生徒達がこっちを見ている。ええぃ見るな見るな!
 こいつは、このあっけらかんとした性格の所為か男女問わず人気がある。
 前に後輩の女の子からラブレター貰ったとか言ってたしな。
 俺にはわからない世界もあるわけだ。百合……とか言うんだっけ?
「まぁ、気が向いたら考えとこうよ。君とあたしの相性は抜群だぜっ」
 どこをどう見て抜群なのか甚だ疑問ではある。
「今日は朝練とかなかったのかよ?」
「ん? あったよ〜。朝練終わってから一回家に帰って来たんよ。
 ちょっち宿題持ってくるの忘れちゃっててさぁ〜あはは。桜さんってばそそっかしいんだわ」
「お前んち結構遠くなかったっけ?」
「ん〜そうでも無いよ? 三駅分くらいかな?」
 三駅分はバスケ部のエースにはそう遠く無いらしい。
「スピード出しすぎで、途中警察の方が声かけてきそうだったけどね」
「うは。どんだけスピード出してんだよお前」
 ん……と考え込んでから測ったこと無いけど、時速四十キロ位は出てるんじゃないかなぁ。等とのたまった。
 自転車に法定速度とかってあるんだっけか?
「警察の方の目の前をひゅぃんって駆け抜けたのですよ。あたしが風になった瞬間だった……ふふふふふ」
 目が危ない。
 いずれ本当に風になっちまうんじゃねぇだろうか。
 良い子は真似しない様に。
「おっとっと、そろそろ予鈴のなる時間だよ。お先に行くね〜無遅刻無欠席の真面目な不良君〜♪」

 と言って、駐輪場の方へと桜は消えていった。

 ――日常を抜け出したいと思っている俺は妙に常識人で。

 ――へらへらとした桜は有る意味常識から逸脱していて。

 こいつみたいには成るまいと思っている俺は、きっと常識に縛られ続けるんだろうなと、
 桜の背中を見つめながら、ふとそんな事を思った。

 ***     *** ***

「よぉ。おはようさん」
「よぉ、逸見。今日も元気そうだな」
「あっはっは。お前は今日も退屈そうだな」
 豪快に笑う。
 岩永 逸見(いわなが いつみ)。
 剣道二段で剣道部主将。なかなかどうして好青年。俺が一年のときからのクラスメイトだ。
「ちょっと夢見が悪くってな」
「そんなに退屈なら体でも動かしたらどうだ? 汗をかけば気分もすっきりするものだぞ」
「そんな気力ねぇよ、もう若くねぇんだから俺」
 そんな答えを返す俺に逸見は「そうか」と言いながら苦笑する。
「それで? 夢ってどんな夢だ?」
「覚えてねぇ。ともかく今朝起きたら随分と気分が悪かった。まぁ、精神衛生上良くない夢だったのは間違いねぇな」
 悪夢ってやつは心が休まらないものだ。
 心が休まらないと体も同じく休まらない。
「ふむ。だからいつもより輪をかけてだるそうなのか」
 あぁ。と俺は気の無い返事を返して机に突っ伏す。
 いっその事このまま寝てしまいたい。
「よぉよぉ、今日も仲がいいねぇ君たちは。はっ! ……まさか君があたしになびかないのはそういうことっ!?」
 どういうことだよ?
 桜が俺達の会話に割り込んでくる。
 こいつはこいつで朝から元気だ。
 賑やかさが何倍にも跳ね上がる
「お前ら、もう予鈴鳴り終わってんだからホームルーム始まるぞ。とっとと席に着けよ」
 机に突っ伏しながら、あっちへ行けと手を振る俺。
 朝のまどろみを邪魔しないで頂きたい。
「あ、ホームルーム無くなったみたいだよ? 職員室どたばたしててそれどころじゃないみたい」
「は? なんかあったのか?」
「駄目だなきみぃ。世情に疎いのは罪だよ? 事件は私たちのすぐ傍で起こっているのだよ。ふっふっふ」
 指を一本立てながら桜が不敵な笑いを浮かべて言う。
「事件? 何だよそれ?」
「連続行方不明事件」
 桜のもったいぶった言い方とは違い、一言で。分かりやすく。
 それでいて、あまりにも突然で一瞬では理解できない答えを逸見は言う。
 逸見は少し芝居がかった神妙な顔で続けた。
「三上が行方不明になったらしい」
「……え?」
「驚きだろう? まぁ、本当かどうかは知らないがな」
「週末から家に帰ってないらしいよ? これはもう例の行方不明事件に巻き込まれたんだよ、きっと」
「……誰?」
「……」
「……」
 え? いや。だから、誰?
 名前は聞いたことある気はするが……。
「信じられんっ! 二年になってもう二学期になるのに、
 クラスメイトの名前を覚えていないとはそっちのほうが驚きだぞっ!?」
「この人『知りませんが、何か?』見たいな顔してるよっ!?」
「あんな色んな意味で目立つ人物の事を覚えていないって、お前の頭の中はどうなっているんだっ!
 プリンかなにかでできているとしか思えんぞ!」
「脳みその代わりに胡桃でも入ってるんじゃ?」

 ひどい言われようだな。  三上って奴はそれ程目立つヤツらしい。
 逸見曰く。
 三上 照天(みかみ てるたか)。(みかみ)
 同じクラスで生徒会長。
 成績優秀、眉目秀麗、文武両道、全校生徒から絶大な人気を誇る……らしい。
 なんだその完璧超人は。
 まぁ、色々と尾ひれがついているんだろうが。
 とは言え。と前置きをした上で逸見は言った。
「俺はあんまり好きにはなれんがな。何考えてるのかわからんし」
「あたしも〜。言う事が極端だからね」
 全校生徒と言っても例外がいるってことだな。
 それでも人気があると言うことはそれだけの魅力があるってことなんだろう。
 カリスマッてやつか。
「まぁ、今度行方不明になるのはキミかも知れないから気をつけてね」
 なんでだよ。
「つか、若気のいたりの家出じゃないのか? その完璧超人にも色々と思うところがあったとか」
「まぁ、そんな所なのかもしれんがな」
「そういえば、連続行方不明事件ってどれくらい連続してるんだ?」
「先週の月曜日から一週間で三人……だったはずだ。三上を入れると四人目か?」
「それはそれは、犯罪の匂いがするな」
「はっはっは。行方不明の連中が犯罪に巻き込まれたか、犯罪を犯したかどっちかわからんがな」
 逸見はさも愉快そうに笑う。
 こいつはこいつで退屈な生活に飽き飽きしてるんじゃないだろうか。
 身近に起こった非日常な出来事に、興奮している様に見えなくもない。

 ――そして、たぶん俺も。

「まぁ、暗い夜道には気をつけろって事だ」
「そうそう。か弱いあたしを送って帰ろうよ」
「あのな。お前が本気で走ったら、誰も追いつけやしねぇよ。ほら、そろそろお勤めが始まるぞ。自分の席に戻れお前ら」
 こいつはまるで飛ぶように走る。
 疾駆というのはこいつの為にあるような言葉だ。
 桜が頬を膨らませながら、「はぁい」と言いながら自分の席へと戻る。
 それに続くように逸見も俺の席から離れていった。

 そして退屈な日常の始まりを告げる始業のベルが鳴り響いた。

 ***     *** ***

「放課後、屋上で待っています」 

 ラブレター。
 らしきものがなぜかここ、俺の手元にある。
 ……ほわっと?
 今朝、教科書を机から引き出すと……。

   ぽとり。

 机の脇から妙に可愛らしい封筒が足元に落ちた。
 何もやましい事など無いにも関わらず、俺は慌ててそれを拾い上げズボンのポケットにねじ込んだ。
 そして昼休みに誰の目にも付かない所で封を開くと、可愛らしい文字で――

 ――放課後、屋上で待っています。

 と書かれた便箋が入っていたわけだ。
 これがラブレターでなくてなんだというんだ。
 俺にも春が来たってことか?
 さらば退屈な日常。
 こんにちは新しい生活。
 今後ともよろしくお願いします。
 ありがとう。おとうさん。おかあさん。僕はお婿に行きます。
「なぁ〜ににやついてんのかなぁ、善良な不良君?」
「なっ、なんでもねぇですよ?」
 しまったっ! 不意に声をかけられたもんだから、声が裏返ってしまった……。
 声の主は桜だった。これから部活なのかジャージを着ている。
 ……部活っ! もう放課後かっ!?
「を。妙に慌てたねぇ。メイド服を着せた幼女に手錠かけて、部屋に拉致ってるような声だったよ」
「どんな声だよ?!」
「あっはっは。メイド服だったらあたしが着て見せてあげるのに」
「まぢかよっ!?」
「うん」
「てか、なんで持ってんだよ!」
「んっふっふ〜。こんな事もあろうかと」
「どんな事だよっこんな事って!」
「君の嗜好は調査済みさ。週に三度はメイド喫茶で過ごしてるとかね」
「行ってねぇよっ! その情報流出場所はどいつだよっ!」
「あたし」
 まったくのガセじゃねぇか。
「君の行動には目を見張るものがあるよ。幼女を誘拐するあの手際。ありゃあプロだよ君」
「なっ、見てたのかっ!?」
「そりゃあね。君はあたしの注目の的。期待の星さ」
「誘拐犯に何を期待しているんだっ!? つか、んな事してねぇよっ!」
 つい、ちょっと乗っちまったけどな。
「またまたぁ、君とあたしの仲で秘密なんてあって無いようなものでしょ〜」
「一方的に無いことばっかり言われてるだけだがっ!?」
「エッチな本の隠し場所に困って、ベッドの下に隠そうと思ったけど、
 あまりにもセオリーどおりだからって机の引き出しの裏に隠してるとか」
「ちょ、おまえっ!?」
「いやぁ、引き出しを引っこ抜かないと見つからない隠し場所なんて、なかなかやるねぇ。
 流石にそこまでは探さないもんね」
「ぐはぁぁぁああはぁぁあぁっ!」
 おれは悲鳴を上げながら机に突っ伏した。
 お、俺の赤裸々な生活を九割嘘とはいえ暴露されるとは……ふ、不覚。
 ラブレターを貰って気を抜きすぎていたか。
「お、お前今朝マゾだとか言ってたがサディストなんじゃねぇかよ」
 非難じみた言葉を桜に投げかける。
「あっはっは。あたしは相手に合わせてどっちにも転じられるんだよ? 桜さんを侮ってもらっちゃ困るねぇ」
 桜はそう言って気持ちよく笑う。
「つまり、君がサディストだろうがマゾヒストだろうが、あたしは君を満足させてあげられるよ?」
「だから、どっちでもねぇってのに!」
 というより、サドかマゾしか選択肢はないのか?
 教室の中で繰り広げられていい会話ではない。
 教師に聞かれたら即職員室に呼び出されてしまうかもしれない。……しかも俺だけ。
 桜はスポーツでの学校への貢献度が高いので良いかもしれないが、
 成績不振の不良生徒(自覚はない)の俺はなんと言われるか分かったもんじゃない。
「おまえ、とっとと部活行けよ」
 じゃないと、ただでさえ良くない俺の風評がもっと悪くなる。
「わかったよぉ。行ってくる」
「おう。青春を謳歌してこい」
「言い回し古っ!」
「うっせ。早く行け」
 と手で行けと示すと、桜はしぶしぶと教室から出て行こうとする。
 そして教室の扉の辺りで立ち止まり振り返るとジャージの裾をつぃとつまんで
「行ってまいります。ご主人様♪」
「早くいけっ!」
「きゃあぁぁ、怒ったぁぁぁっ♪」
 逃げるように教室から駆け出していった。

   ……メイド服姿見たいとか思って無いからな。……うん。


 ***     *** ***


 屋上は夕日で真っ赤に染まっていた。
 暑い夏が足早に去っていくように。
 哀愁を誘う夕日を伴って秋が近づいてきていた。
 昼間はまだ暑いが、この時間の風は少し肌に冷たく感じる。気がつけばすぐに冬がやってくるのだろう。
 屋上は夕涼みにはちょうど良かったが、人気は全くといって良いほど無かった。
 遠くの方から運動部の掛け声が聞こえてくる。
 真っ赤な屋上は、まるで現実世界から切り離された別世界のように感じられた。

 子供の頃、夕暮れ時が嫌いだった。

 友達に別れを告げ、それっきり会えなくなるような錯覚を覚えたからだ。
 そんなことはあるはずが無いのだが、それでも夕暮れってヤツに恐怖というか、
 畏怖に近いものを感じていたんじゃないかと思う。
 うちの学校は高台にある為、屋上からは町が一望できる。
 といっても、同じ高台にある住宅街側は一望というほど見えないが。
 夕日に染まる町はいつもより綺麗に見えて、そしてどこか言葉に出来ない不気味さが有る。
 屋上のフェンス越しに見る町はなんだか現実感が無く、よりいっそう不気味さを際立たせていた。
 はぁ……と俺はフェンスに指を絡めてため息をついた。

「いたずら……だったか」

 そう。『人気は全くといって良いほど無かった』のである。
 ごめん。
 俺がそう願いたかっただけで『人気は全く無かった』の間違いである。
 つまり……誰もいない。
 つまり……手紙をくれたらしき人物もいない。
 最初は時間も提示していなかったし、放課後はまだあるから待ってみるか……
 とグラウンドで部活に励む生徒達を、屋上から見下ろしながらぼーっと待っていた。
 三十分も過ぎると自分のほうが遅くて、帰ってしまったのではないかと心配になり、
 屋上をふらふらといったり来たり。
 もう三十分も過ぎると太陽が西の空に沈み始め、屋上を緋色に染めていった。
 さらに三十分過ぎたあたりから、俺は子供の頃に思いを馳せる為、夕日を見に屋上に来たんだと思い込むよう努力し始めた。
 その結果がこれだ。
 腕時計を見るとデジタルの表示が、そろそろPM5:00を知らせようとしている。
 部活の連中も、そろそろ帰宅に思いを馳せ始める頃だろう。
「はぁぁぁぁぁぁ」
 大きなため息をつき、屋上にあるベンチにどかっと腰掛ける。
「そうだよなぁ、そうじゃないかと思ったよ。薄々は気が付いてたんだけどな」
 そう言って自分を納得させるかのように、つぶやく。
 より一層寂しい気持ちになったのは言うまでも無い。
 日は刻一刻と地平線の向こうに姿を隠し、少しずつ夜の帳が下りてきた。
 もう下校時刻は近い。
 どう考えたって俺は騙されたんだ。だから諦めて帰るぞ。うん帰るんだ。帰ろう……。
 心の中で三回帰ると唱えてやっと諦めが付いた。
「さってと。帰るか」
 と、立ち上がった瞬間。俺の背筋に寒気が走った。

 ――目が合った。

 誰もいないと思っていた。

   気配なんか感じなかった。

   だが、確かにそこにいた。

 ――女。

 女がじっとこっちを見ていた。
 眼鏡の奥の無感情な瞳で。
 そいつはクラスメイトの……確か豊玉 水姫(とよたま みずき)という名前だったんじゃないだろうか。
 豊玉は、無言でこちらを見つめていた。

 いつから?

 いつから俺を見ていた?
 自分がおかしな挙動をしていたことを見られていたかもしれないという恥ずかしさよりも、
 人間味の無い瞳でいつから俺を見ていたのかという点が何より怖かった。

 豊玉水姫。クラスメイト。

 他のクラスメイトと話をしている所を見たことが無い。
 俺のすぐ隣の席ではあるが、昼休みはいつも何処かに行って見かけないし、
 休憩時間は大体一人で本を読んでいて、話しかけられるような雰囲気を持っていない。
 そういえば俺、隣の席なのにこいつの声を聞いた事が無い気がする。
 授業のとき当てられて答えることはあるんだろうが、どんな声だったか印象に無い。
 まぁ、俺が名前を覚えている時点でクラス内でも異質な存在だということかもしれない。
 しかし、関わりがあるとすればクラスメイトというだけ。
   ただそれだけの豊玉が、なぜ俺を無言で見ていた?
 得体の知れない物への恐怖。
 俺の中の動物的な本能がこの女に対して怯えている。
 捕食者とその対象。
 蛇に睨まれた蛙。
 視線で射竦められる。という言葉はこういう時に使うものだと初めて知った。
 豊玉はゆっくりと俺の方に歩いてくる。
 いや、ゆっくりに感じたのは俺の感覚の所為で、実際はそうゆっくりとした歩調ではないのかもしれない。
 だが、こいつは俺が足が竦んでいて逃げられないのを分かっていて、
 俺の怯えている様を楽しみながら近づいてきているように思えた。
 顔にはうっすらとした笑いが張り付いているようにも見える。
 そして、豊玉は俺の目の前で立ち止まった。
 眼鏡の所為で表情は分かりにくいが、俺の目をじっと見あげているようだった。

 ――沈黙。

 ごくりと俺の喉が鳴る。緊張で妙に喉が渇いた。
 どれだけ時間が経ったのだろう。
 どれだけも時間は経っていないのだろう。
 見つめ合う二人。
 いや、この場合一方的に目で殺されているという表現が正しい気がする。
 一体こいつはいつまでこうしているつもりだろうか。
 何か俺に用があるから、俺が気づくのを待っていたんじゃないのか?

 ――待っていた……?

『放課後、屋上で待っています』

 え? ……ええっ!?
 待っていたのは豊玉で、あの便箋にも待っていると書かれていて。
 もしかして、あのラブレターは豊玉が俺の机に突っ込んだのか?
 ちょっと待て。
 そういうことなのか?
 俺は慌ててポケットにねじ込んであった封筒を取り出して示した。
「な、なぁ……これってお前が出したのか?」
 少しびくつきながらも俺は聴く。
 すると豊玉はこくりと頷いた。

 まじかよ。

 じゃあ、言えよ。言葉にしろよ。言ってくれなきゃ分かんないじゃないか。
 怖いんだぞ。無表情で近づいて来られるのって。

「あなた、狙われている」

 想像していたより澄んだ声。
 小さい声だったが、よく徹る声だった。

 ん? あれ?

「……えと、誰が狙われてるって?」
「あなた」
「俺が?」
「そう」
「誰に?」
「わからない」
「狙われてるって……」
 どういう事……? と続けようとした所をさえぎって豊玉は言った。

「殺されるという事」

 ――ちょっと待て。

 冗談はよせ。
 確かに俺は不良ってレッテルを貼られているし、まぁ、そう呼ばれる理由も無くは無い。 
 でもなんで、殺されるって所まで話が飛ぶんだ?
 それに。

「……なんでそんな事が分かるんだ」

 混乱している頭を落ち着かせ、何とかその言葉だけを搾り出した。
 豊玉は少し伝えるべきか悩んだ後。

「説明してもあなたには……わからない」

 ――多分、知らない方がいい。

 そう言って屋上から出て行く時、今まで表情が見えなかった豊玉の顔に陰りが見えた気がした。

 そして、ぱたんと言う音と共に屋上の扉は閉められた。